『アメリカン・スナイパー』は、クリント・イーストウッドの戦争観が浮き彫りにされた傑作!

AMERICAN SNIPER
『アメリカン・スナイパー』
2月21日(土)より、新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/

 

 クリント・イーストウッドがアメリカ映画界の至宝であることは論を待たないが、アメリカ映画人のリベラル派はなぜか彼を右翼とみなして嫌っているようだ。まぁ彼の作品をみると、どんなにエンターテインメントに徹していても、彼の現実を見すえた眼差しは甘ったるいヒューマニズムや表面的な理想主義とは相いれなかった。だからこそ、はるか昔からイーストウッドは、フランスや日本での方が評価は高かったのだ。
 それでも、イーストウッドの実力は無視することはできない。アメリカ映画界は2度のアカデミー監督賞を与えている。筆者のような支持者の視点からいえば、この程度の受賞では少なすぎる気がする。そういえば、昨年、日本の各映画賞を賑わした『ジャージー・ボーイズ』もアメリカでは殆ど評価されなかった。あれほど“音楽する喜び”を映像に焼き付けた作品も稀だったのに。

 それはともかく、あまり間隔をおかずに発表された本作は、大ヒットするとともに、賛否両論の嵐を招いている。
 映画はイラク戦争で160名を射殺した伝説のスナイパー、クリス・カイルの半生が描かれるのだが、突撃取材で知られるドキュメンタリー監督マイケル・ムーアは「カイルはヒーローではない」と発言して大炎上。あわてて作品自体のことではないと訂正することになった。リベラル派は殺人者を主人公にして国威を昂揚していると非難。一方の右翼・保守層は愛国者を称えた作品として最大限の賛辞を送っている。
 この作品の不幸は、おりからのイスラム国問題でアメリカの人々の間にナショナリズムの風潮が生まれていたことだ。作品をみれば、好戦的でもなければ、ヒーローの映画でもないことがわかるが、リベラル、保守双方の筋違いの論戦が引き金となり、さらにアカデミー賞6部門にノミネートされたことによって、多くの観客が劇場に集まった。結果として、アメリカ国内では2月9日時点で2億8300万ドルに届きそうな数字を挙げている。これはイーストウッド作品としては最大のヒットだし、戦争映画としても史上最高の興行収入となっている。
 監督にとっては、何にせよ作品が多くの目に触れれば嬉しいはずだが、イーストウッド自身はこれほどの騒ぎになるとも予想もしていなかったに違いない。
 確かに題材は過激かもしれない。クリス・カイル自身とスコット・マクイーウェン、ジム・デフェリスの3人が書いた「ネイビー・シールズ 最強の狙撃手」が原作で、イラク戦争の激しい戦いぶりが克明に描き出される。
 だが、映画をみればイーストウッドの狙いははっきりと分かる。
 あくまでリアルに戦場を再現し、善悪などを超えた戦闘を画面に焼き付けることで、戦争の実相を浮かび上がらせているのだ。愛国心から特殊部隊ネイビー・シールズの一員となったカイルが戦争を体験したことでどのように変貌していったか。イーストウッドは淡々と紡いでいく。
 脚本は『パワー・ゲーム』のジェイソン・ホール。原作が出版される前からカイルの存在を知っていたというホールは本人に取材し、心優しい人間としての側面も付加している。
 出演は映画化に奔走し、プロデューサーとしても名を連ねるブラッドリー・クーパー。『世界にひとつのプレイブック』、『アメリカン・ハッスル』と、個性と演技に磨きをかけてきたクーパーは、本作ではキャラクターに近づけるために体重増加を課して熱演。石のように表情を崩さず、しかし内面が壊れていくプロセスを的確に表現している。共演は『フォックスキャッチャー』にも顔を出していたシエナ・ミラー。

 テキサス州で生まれ育ったクリス・カイルは、幼い頃に父親から人間には3つのタイプがあると教えられる。襲われる羊と襲う狼、そして狼を防ぐ番犬。カイルは番犬になろうと心に決める。
 成長したカイルはカウボーイとなるが、満たされない日々を送っていた。だが1998年、テレビでアメリカ大使館爆破事件のニュースをみて、番犬として生きるべく、海軍のネイビー・シールズに志願する。シールズの一員となったカイルは、タヤという女性と知り合い結婚するが、アメリカ同時多発テロが勃発。アメリカは戦争状態に突入する。
 シールズで狙撃手として天性の能力を発揮したカイルもイラク戦争の最前線に送りこまれる。兵士たちを守るために周囲に目を配り、敵を狙撃する。一般人か敵かも分からぬなかで、瞬時の判断を要求される激務だが、カイルは抜群の功績を上げる。
 アメリカに戻れば、タヤや子供との平和な生活が待っている。神経が磨り減る日々から即座に切り替えることなどは、できはしない。タヤとの間に溝を感じ、彼は再び戦地に赴く。
 敵に自分と同じような狙撃の名手がいることも、彼を戦地に駆り立てる動機になった。カイルは4度、従軍し、輝かしい戦績を残して除隊する。しかし、平和なアメリカで彼を待ち受けていたのは皮肉な運命だった――。

 最初の方で、爆弾を隠し持っている女と子供を殺すべきか、カイルが悩むシーンが用意される。じりじりするような緊迫感のなかで、彼は殺すべきか否かの判断を下さなければならない。この一線を越えたことで狙撃手として資質を身に着けたことになるわけだが、イーストウッドの演出はいいわけや感情をそこに盛り込まない。あくまでハードボイルドに戦場を浮かび上がらせる。
 アクションの迫力、サスペンスの盛り上げはさすがにイーストウッド、いずれも申し分ない。戦闘の過酷さをとことん浮き彫りにすることで、そうした環境に身を置き、生き延びるためには、何かを代償にせねばならないことをきっちり描き出す。
 カイルは戦地での研ぎすました感覚から抜け出ることができずに、心のどこかが壊れていく。近年、戦争下の兵士たちの精神的外傷が広く取りざたされるようになったが、イーストウッドは平和な日常に適応できないカイルの姿を過不足なく紡ぎだしている。
 戦場シーンでの臨場感や迫力によって誤解されるかもしれないが、本作は戦争が人間をどのように変貌させるかを描いた反戦映画といってもいい。
 イーストウッドはカイルを美化していないし、必要以上に貶めてもいない。人間としての魅力をもった等身大の存在として浮かび上がらせる。番犬となる決心をした男にとってはその幕切れは悲しいが、これもまた彼が選んだ道。イーストウッドは安易な理想論に与することなく、現実を直視して映像化している。

 カイルを演じるクーパーは本作でアカデミー主演男優賞にノミネートされることになった。『世界にひとつのプレイブック』、『アメリカン・ハッスル』に続き、3年連続のノミネートだが、本作の抑えた演じっぷりがベスト。寡黙で、じわじわと壊れていく演技には拍手を送りたくなる。

 アカデミー作品賞、主演男優賞、脚色賞、編集賞、録音賞、音響編集賞の6部門にノミネートされながら、なぜか監督賞は素通り。イーストウッドとアカデミー会員との折り合いの悪さを象徴している。だが、本作はイーストウッドでなければ、文字通りの好戦映画か、言い訳だらけの反戦映画になっていたはず。現実を見すえ、どんな題材でもひるまないイーストウッドの次作が楽しみでならない。これは必見の傑作である。