日本時間2月23日、アメリカ映画界最大の祭典、アカデミー授賞式が開催される。必然的にこの季節は、候補作の公開が相次ぐことになる。受賞を追い風に、ニュースのホットなうちに興行収入を稼ごうとの思惑からである。
本作もアカデミー監督賞、主演男優賞をはじめ5部門にノミネートされている。授賞式のときは公開中という絶好のタイミングにいるわけだ。すでに昨年のカンヌ国際映画祭では監督賞を手中に収めているから、ここでアカデミー賞となればまさに鬼に金棒だ。
1996年に実際に起きたデュポン財閥の御曹司が引き起こした事件であり、オリンピックの金メダルを誇るアメリカのレスリング選手がからんでいるという内容自体、かなり映画化の難しい題材ながら、関係者の取材をふくめ膨大なリサーチを課して紡いだという。『神に選ばれし無敵の男』を手がけたE・マックス・フライと、『カポーティ』の製作総指揮でもあるダン・ファターマンのふたりが脚本に名を連ねているが、内容については監督のベネット・ミラーの意向が大きく反映されている。
さまざまな証拠や証言を集め、そこから明らかになったラインをさらに肉付けすることでストーリーを構築していった(ミラー自身はドキュメンタリーをつくるようだったとコメントしている)。
それにしてもミラーに対するアメリカ映画界の注目も半端ではない。1998年に監督デビューを果たしたドキュメンタリー『The Cruise』がベルリン国際映画祭で注目されて以来、劇映画に転じた第2作『カポーティ』、第3作『マネーボール』、そして本作と、いずれの作品もアカデミー賞を賑わしてきた。これまでに短編も含めて5作品しか生み出していないにもかかわらず、ここまで評価されたのも珍しい。
彼の作風で特筆すべきは俳優の演技を最大限に引き出していることだ。どの作品も実際に起こったこと、実在の人物を題材にしていて、その状況を演じる俳優たちの一挙手一投足を、観察するかのごとくカメラを回している。キャスティング能力に長けていることもあろうが、俳優たちは『カポーティ』でアカデミー主演男優賞に輝いたフィリップ・シーモア・ホフマンや『マネーボール』のブラッド・ピットなど、ことごとく彼の期待に応えている。
本作では主演のスティーヴ・カレル、助演のマーク・ラファロがアカデミー・ノミネートされている。驚くのはカレルの変貌ぶりだ。『40歳の童貞男』や『ゲット スマート』などでとことんバカをやってくれた、あのカレルが心に闇を抱えた御曹司を見事な存在感で表現している。コメディアンがシリアスに転じると抜群の演技力を発揮する好例である。
同じくノミネートされたラファロも2010年の『キッズ・オールライト』でもアカデミー候補となったように、近年、進境が著しい。本作に先立って公開された『はじまりのうた』での落ち目の音楽プロデューサーも自然体でよかったが、ここでの弟思いのレスラー役もすばらしい。
このふたりに加えて、軸になるレスラーに扮するのが『マジック・マイク』や『ホワイトハウス・ダウン』などで知られるチャニング・テイタム。さらに『ファクトリー・ガール』のシエナ・ミラー、名女優ヴァネッサ・レッドグレーヴ、『すてきな片想い』などで1980年代半ばに青春スターとして活動したアンソニー・マイケル・ホールまで、充実の顔ぶれを誇っている。
1984年のロサンゼルス・オリンピックにレスリングのアメリカ代表として出場し、金メダルを獲得したマーク・シュルツだったが、普段の生活に戻ると恵まれているとはいい難かった。レスリングという競技自体がアメリカで注目度が薄いこともある。親代わりに面倒を見てくれる兄デイヴを慕っていながら、試合でも実生活でも決して勝てない相手として複雑な感情を有していた。
そんな折に、デュポン財閥の御曹司ジョンから連絡が入る。ジョンが創りあげたレスリングチーム“フォックスキャッチャー”に参加するようにとの依頼だ。年棒も高いし、設備も完璧にしつらえてあった。
ジョンはデイヴの参加も望んでいたが、デイヴは固辞し、マークだけの参加となる。鳥類学者であり慈善家、深い知性の持ち主であるジョンは、内面では自分を認めぬ母親に激しい感情を抱え、孤独に苛まれていた。そんなジョンに対して尊敬の念を抱くマークだったが、次第にふたりの仲は危ういものとなっていく。
さらにデイヴが再三の勧誘に負けて、チームに参加したこと。さらにジョンの母が引き金となって、やがて取り返しのつかない悲劇が起きる――。
描かれるストーリーは悲劇以外の何物でもないが、ミラーは今までの作品以上に淡々と事象を映像に焼き付けていく。いってみればストーリーテリングではなく、ストーリーを観察し、記録するといった趣。肉体がぶつかりあう激しいスポーツを扱っていながら、画面は煽ることもなく、むしろ内省的なタッチを貫いている。
ミラー自身は黒澤明の作品から“間”の在り方を学んだという。何も音のないところでイマジネーションが育まれて、大きな感動に続く手法は本作でも取り入れられているとか。確かに広大なデュポンの屋敷のなかで、愛憎が次第にたぎり、狂気が進行していく過程が静かに綴られていくあたりを指しているのか。ミラーは本作を“検証する”作品といっている。距離感をもって描かれるキャラクターたちはいずれも特殊な状況に置かれているが、それぞれの心の奥の感情は共感を禁じえないものだ。彼らが別な状況であったら、もっと異なる結末になったかもしれないと思わせる。
俳優たちはいずれも凄いパフォーマンスだ。ジョン役のカレルの不気味さは圧巻で、能面のような表情のなかにほのみえる悲しみと絶望に心打たれる。マーク役のテイタムも素敵だ。兄に勝てない苦みを絶えず抱えながら、従うしかない辛さをくっきりと画面に焼き付けている。ラファロ演じたデイヴも弟を愛し、レスラーとして有能であるために事件の渦中に巻き込まれるキャラクターを演じきっている。ミラーによれば俳優ひとり、ひとりが演じるキャラクターのリサーチを完璧になしとげた上で挑んでいたというが、まこと、それぞれが役になりきっている。
ミラーがかくもアメリカ映画界から期待されているのは、彼の持つ生真面目さ、誠実さにあるのだろう。決して後味のいい映画だとはいわないが、俳優たちの鬼気迫る演技を堪能できる秀作であることは間違いない。一見をお勧めする。