『新世紀ロマンティクス』は地方に生きる中国庶民を見つめてきたジャ・ジャンクーの集大成作。

『新世紀ロマンティクス』
5月9日(金)より、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
配給:ビターズ・エンド
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公式ホームページ:www.bitters.co.jp/romantics/
 

 近年、膨大な映画人口を背景に中国エンターテインメントの躍進が目立つ。政府の政策に沿った愛国高揚、勧善懲悪的な作品が次々と大ヒットを記録。今更ながらに中国本土の映画人口の多さに舌を巻く。

 こうした動きとは対照的にインディペンデントな活動を続けて世界から注目されている監督も少なくない。さしずめジャ・ジャンクーはその代表格だ。

 ジャ・ジャンクーは北京電影学院で学び、卒業制作の『一瞬の夢』が1998年のベルリン国際映画祭で入賞。釜山国際映画祭、ナント三大大陸映画祭ではグランプリを受賞した。2000年には『プラットホーム』、2002年に『青の稲妻』を発表し、中国の地方都市に生きる若者たちをヴィヴィッドに活写。その存在を大きくアピールした。

 さらに2006年の『長江哀歌』では、三峡ダムのために翻弄される人々の姿を追い、以後『四川のうた』、『罪の手ざわり』、『山河ノスタルジア』、『帰れない二人』などなど、心に残る作品を送り出した。

 2024年に発表した本作はジャ・ジャンクーのまさに集大成といいたくなる。初期の作品群やドキュメンタリーで撮りためてきた映像素材を駆使して、22年に繋がる思いを映像に仕立て上げた。そこに映し出されるのは21世紀の激動する中国の姿だ。見る見るうちに近代化される景色、変化に対応できない人々、置き忘れられた人々も映り込む。

 なによりも登場人物も22年の年齢の変化を身にまとう。もはやフィクションを超えたノンフィクション。映像のリアリティが本作に横溢している。登場人物に刻まれた年齢の変化、変わりゆく街の光景。映像の力強さに惹きこまれるのみ。最初はこれほど長期の製作期間を考えていなかったと思うが、時代の変遷がみごとに焼き付けられている。

 長期間に及ぶ時代の変遷を焼き付けることが可能になった理由の一つに、出演者が共通していることが挙げられる。特にヒロインを演じるチャオ・タオはジャ・ジャンクーの妻でもあり、長編9作目を数える。彼女の存在感を撮り続けてきた監督の思いが彼女の熱意となって凝縮している。

 さらに相手役も『青の稲妻』、『長江哀歌』と長年のつきあいのリー・チュウピンとくるから、リアリティは高まる。当時の映像が歳月の重みをいっそう付加させる。

 嬉しいのは、22年に及ぶ映像に挿入される楽曲の数々だ。革命歌の「黄土高坡」から、中国のパンクバンドの「野火」、香港のリンダ・ウォンの「別问我是谁」などなど、時代、場所にふさわしいメロディが次々と織り込まれて、雰囲気を高めていく。耳でも目でもジャ・ジャンクー世界が広がる仕組みだ。

 2001年、中国北部の大同でキャンペーンガールをしているチャオは恋人でマネージャーのビンとともに懸命に日々を生きていた。北京でオリンピック開催が決定されるなど国は盛り上がっているが、大同は失職者で溢れていた。チャオに連絡を約束したビンは、可能性を求めて大同を去る。

 2006年、チャオはビンを捜し歩き、長江に流れ着いた。人々でごった返す街で、チャオはビンを探し出すが、ビンには女の影があった。

 2022年、珠海。ビンは経済特区で仕事を探すが、すべてが様変わりして居場所が見つけられない。ここでチャオはスーパーのレジ係をしていた。

 大同でふたりは言葉を交わす。長い空白を経てふたりはようやく互いの気持ちを知った――。

 プレスには記憶のモンタージュとある。ジャ・ジャンクー作品を追いかけている身にとっては、彼のフィルモグラフィを思い出し、懐かしい気分に浸る。常に庶民の側の閉塞感や憤懣を映像に漲らせてきた監督が激動の中国をどのように感じたか。映像は過不足なく語りかけてくれる。

 ヒロインのチャオ・タオの無表情がこの上なく魅力的だ。さまざまな地域に溶け込んで、それでも居場所のなさを実感させる存在。凛とした表情、どこまでも意志を貫こうとする姿勢に中国女性の強さと儚さを実感させる。素晴らしいパフォーマンスである。

 躍進するイメージの中国の裏側には、大多数の成功しきれなかった人々の恨み、哀しみが渦巻いている。時代に翻弄された人々を描き続けた監督をあえて称えたい。