1974年、1本のソフトコア・ポルノが日本で大ヒットを記録した。エマニエル・アルサンの原作小説を映画化し、ファッション写真家として知られるジャスト・ジャカンが監督した『エマニエル夫人』は主演のシルビア・クリステルの美しさに魅せられて多くの観客が押し寄せた。配給した日本ヘラルドのプロモーションの巧みさで「おしゃれなポルノ」として浸透し女性客にアピールした。
作品はシリーズ化され、クリステルは一躍スターダムにのし上がり、『エアポート´80』などのアメリカ映画にも顔を出すようになった。もっとも、時代の変化とともにモラルや描写の面でシリーズは次第に顧みられなくなった。
しかし、忘れ去られたはずなのに、この原作が蘇った。もちろん、能天気なソフトコアとしてではなく、ひとりの女性が性の扉を主導的に開いていく姿が描かれる。ヒロインは妄想の対象ではなく快感を取り戻すために自らの意思で性の深淵に飛び込んでいく。まったく新しいエマニュエルが浮き彫りにされる。
手がけたのはオードレイ・ディヴァン。2021年に『あのこと』を発表して、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いて、一躍存在を認められた脚本家出身だ。前作では、中絶が違法だった時代のフランスで、妊娠した女子大生の中絶までの孤独な戦いを繊細に描き出し多くの共感と絶賛を得た。彼女が脚本も担当し(『プラネタリウム』のレベッカ・ズロトヴスキも名を連ねている)まったく新しいエマニュエル像をつくりあげた。
ヒロインに抜擢されたのは、『燃ゆる女の肖像』で注目を集め、『TAR/ター』でも個性を発揮したノエミ・メルラン。加えて、『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』のウィル・シャープ、『マルホランド・ドライブ』のナオミ・ワッツ。さらに香港から『ザ・ミッション 非情の掟』や『エクザイル/絆』でおなじみの個性派、アンソニー・ウォンが顔を出す。このキャスティングだけでもワクワクさせるではないか。
香港の最高級ホテルの品質を査察するために訪れたエマニュエルは、欲求を自らの意思で晴らす女性だが、孤独を募らせていた。
ホテルに滞在し、調度、サービスを厳しくチェックするのが業務だが、ホテルは文句のつけようがなかった。だがオーナーは経営陣の粗を探せと命じてくる。
ホテルの裏側にまで目を光らせるようになった彼女は、怪しげな顧客や風変わりな宿泊人に心惹かれる。
真の悦びを感じられずにいた彼女は、やがて自らの欲望と向き合い、自らの快感を取り戻すため冒険に足を踏み出していく――。
劣情を刺激するようなシーンは登場しない。ひとりの孤独な女性が自分と向き合い、正直に生きることを選ぶまでの軌跡が細やかに綴られるのみだ。『あのこと』と同様、ひとりの女性の心の軌跡がくっきりと浮かび上がる仕組みだ。しかも舞台を香港としたのも成功している。殆どがホテル内部で展開するなかで、ヒロインが冒険に飛び込む後半、重慶マンションやネイザンロードが映り込む。猥雑さと生々しさの交じり合った雰囲気とともに、ヒロインが自分に正直に生き始める。この展開が何とも清々しい。
エミ・メルランはシルビア・クリステルのようにふくよかな肢体の持ち主ではないが、現代をタフに生き抜く女性像としては恰好だ。ナオミ・ワッツもアンソニー・ウォンも贅沢なキャスティングなわりに、個性は活かされていないのが少々残念だが、文句は言うまい。
74年作のイメージで見なければ、女性の成長物語として特筆に値する。タイトルに頓着せずに一見をお勧めしたい。