生きとし生けるもの、老いに向かい、いつか朽ちる。いくら医療が発達し、寿命が延びたとはいえいつかはお迎えが来る――。
本作をみて図らずもそんな思いに囚われてしまった。何と言っても出演者が凄い。マイケル・ケインが主役を演じるのだ。ケインは1950年代後半からスクリーンで輝き続け、『アルフィー』の色男ぶり、ジェームズ・ボンドの向こうを張ったハリー・パーマーを好演した『国際諜報局』などが忘れ難い。主役も脇役も頓着せずに、1986年のウディ・アレン作『ハンナとその姉妹』でアカデミー助演男優賞を手中に収める。さらに1999年の『サイダーハウス・ルール』でも2度目のアカデミー助演男優賞に輝いた。近年は『ダークナイト』や『インセプション』、『インターステラー』などのクリストファー・ノーラン作品の常連となった。
1933年3月生まれというから91歳になったのか。ここまで映画に出続けていたことに感謝しかない。本作が俳優人生最後の作品となると聞けば、万感の思いが押し寄せてくる。
しかも共演するのがグレンダ・ジャクソンとくる。ケン・ラッセルの1969年作『恋する女たち』でクール・ビューティぶりを鮮烈に焼きつけ、1973年の『ウィークエンド・ラブ』ではコメディエンヌぶりをみせて、なんと2度のアカデミー主演女優賞を獲得した。一時期、女優から引退して、労働党の一員として政界入り。2015年に再び女優に復帰したことでも知られる。きっちりと主張を持った生き方を貫いた女性なのだ。
このふたりが老夫婦を演じるというだけで胸が熱くなる。あれだけスクリーンできらめきを放っていたふたりが実年齢に近いキャラクターをさらりと演じている。衰えたといえど矍鑠とした風情のケインに対して、ジャクソンの変貌ぶりに息を呑む。かつての美しさを想像できないほどの老嬢ぶりなのだ、
監督のオリヴァー・パーカーはひたすらケインとジャクソンにカメラを向け続ける。もともと実話をもとにしたストーリーということでドラマチックな起伏はないが、年齢を重ねた人には琴線に触れる展開になっている。
2014年の夏、イギリス・ブライトンの老人ホームにはバーナードとレネの夫婦が仲睦まじく暮らしている。もはやお迎えが来るのはそれほど先ではないと分かっているふたりだが、ある朝、突然、バーナードがひとりで老人ホームを後にする。ブライトンから船に乗って、向かうのはフランス・ノルマンディー。
バーナードはどうしても訪れなければならない場所があった。若い頃に味わった過酷な記憶。再びノルマンディーに足を踏み入れたバーナードに対して、レネは何も取り乱さず、静かに帰りを待つ――。
戦争体験をした人たちが記憶を抱えたまま老いて朽ちようとしている。日本においては、戦後、79年を数える。寿命が延びた分、未だ体験者に話を聞くことができる。本作が伝えるのは体験を引き継ぐことの大切さだ。若い兵士たちが戦場でいかに過酷な体験をしたか。タイトルの「2度目のはなればなれ」とは、最初は戦場に駆り立てられたとき、そして老いて記憶の決着をつけに行く“今”ということだ。
監督のパーカーはケインの姿を静かに捉えていく。ノルマンディーの風景、出会う人々。ケインの一挙手一投足を映像に収めながら、この偉大なる俳優の姿を永遠のものとしているかのようだ。これで俳優を引退するとのことだが、何とも寂しい限りではある。
最後にまことに悲しいことだが、グレンダ・ジャクソンとってはこれが最後の作品となった。完成を待たずに亡くなったというが、人生の無常を思い知らされるばかりである。