この1月に劇場公開された『哀れなるものたち』は、エマ・ストーンが第96回アカデミー賞主演女優賞に輝き、圧倒的な世界観で美術賞を獲得するなど、大きな話題となった。
だが、監督のヨルゴス・ランティモスは休むことなく、旺盛な制作意欲で早くも本作を完成させていたのだから驚くほかはない。しかも本作は今年のカンヌ国際映画祭でセンセーションを巻き起こし、主演のジェシー・プレモンスが男優賞を獲得している。これだけ有名映画祭を沸かせる存在は、現在、ランティモスをおいていない。
この監督は奇想天外なアイデアを軸にグイグイと押し切る作劇術が身上。予想を超える展開を誇り、鋭い風刺性とともに、パワフルな演出で俳優たちの演技を引き出す。常に観客を驚かせる映像世界が彼の作品にはある。
前作は、創りこまれた世界のフランケンシュタイン女性の一代記だったが、本作はガラリと変わる。リアルなロケーション中心で3つの独立したストーリーのドラマに仕上げている。切りとられる背景はあくまでも日常的だが、語られる内容はとてつもなく奇妙で弾けている。
3つのストーリーに登場する俳優たちは共通している。だから、それぞれ関係のない設定であっても、見る者には継続しているように見えるのがミソ。
出演者は、もはやランティモスのミューズと呼ぶにふさわしいエマ・ストーンを筆頭に、『哀れなるものたち』のウィレム・デフォーとマーガレット・クアリー、『女王陛下のお気に入り』のジョー・アルウィン、『ザ・ホエール』のホン・チャウなどが招集された
とりわけ今回の注目はカンヌでも賞に輝いたプレモンスだ。『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が知られている程度の地味な存在だが、三つのキャラクターを巧みに演じ切り、圧倒的なペーソスと存在感を残している。私生活のパートナーであるキルステン・ダンストが主演した『シビル・ウォー アメリカ最後の日』でも、カメオながら強烈な個性を発揮している、まさにアメリカ映画界旬の演技派だ。
3つのストーリーは多彩だ。まず選択肢のない生き方を強いられる代わりに豊かな暮らしを保証されている男が、権力者に反抗するもののうまくいかず、元の木阿弥になる話。
妻が海で失踪し、戻ってきたときには別人になったと恐れる警官の夫の話に繋がる。
最後は死者を蘇らせる教祖を探し求める新興宗教のカップルの軌跡が待ち受けている。
まったく脈拍のない進行にもかかわらず、展開とともに、権力と支配、従属のテーマが浮かび上がる。ランティモスはどこまでもあからさまで、下世話なユーモアを押し出しながら現代という不条理世界のなかで生きる私たちを風刺しているのだ。
俳優たちを巧みに操り、思うままに世界を構築する。ストーンは状況に翻弄されるヒロイン像を弾けて演じ切り、プレモンスは世界を受け入れることしかできないキャラクターを熱演。俳優たちをどこまでも自らの世界に惹きこむ。これぞ彼の演出魔術の成せる業である。本作では『籠の中の乙女』以来五度目のコラボレーションとなるギリシャの劇作家エフティミス・フィリップを迎え入れた。日常的な世界のなかでおきる奇天烈な出来事を通して、人間というものの愚かしさ、愛おしさを浮かび上がらせる。ランティモスの才気、発想力に世界中が熱狂している感じすらする。早くも、新作製作が話題となっている。この躍進がどこまで続くのか、世界中の映画界が注視している。