『フェイブルマンズ』はスティーヴン・スピルバーグの思いのこもった、心に沁みる家族のドラマ。

『フェイブルマンズ』
3月3日(金)より、TOHOシネマズ日比谷、新宿バルト9、新宿ピカデリー、 グランドシネマサンシャイン 池袋ほか全国ロードショー
配給:東宝東和
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公式サイト:https://fabelmans-film.jp/

 2019年末より世界を覆ったコロナ禍は、下火になったとはいえ現在まで続き、私たち人間の行動、心の在り様にも大きな影響を与えた。

 最初は何も分からぬ業病として恐怖に苛まれ、多くの社会的な規制に従うしかなかった。なにより、人が集うことで感染するといわれ、しばし映画館、劇場が閉じられたことは衝撃だった。再びオープンしても、かつての人波は戻らなかった。心の底に病に対する恐れが残っていたからだ。

 会話はマスク越しで行なわれ、仕事もオンラインが推奨される。人との触れ合いのないままに、社会が動いていく。私たちは先の見えない怖さに苛まれ、次第に何をすれば後悔しないかを考えるようになった。とりわけ、これまで世界をリードしてきた映画人にとっては先の読めない世界で何を表現するべきなのか、これが喫緊のテーマとなった。

 1971年にテレビ映画『激突』で注目され、『JAWS/ジョーズ』や『未知との遭遇』、『レイダース 失われた聖櫃』に『E.T.』、『ジュラシック・パーク』、『シンドラーのリスト』、『プライベート・ライアン』、『ウエスト・サイド・ストーリー』などなど、数えきれないほどのヒットを誇り、プロデュース作品も多数残したスティーヴン・スピルバーグも、このコロナ時代に何を発表すればいいか考えたという。

 彼が選択したのは、自伝的作品を手がけることだった。その決断には2020年のパンデミックと前後して、父親がこの世を去ったことも大きく影響している。

 そもそもスピルバーグが自らの記憶を辿るきっかけとなったのは、劇作家・脚本家のトニー・クシュナーとの出会いだった。『ミュンヘン』の脚本に起用されたクシュナーは撮影に立ちあった際、スピルバーグに監督になると決めたのはいつかと尋ねた。スピルバーグは嬉々として思い出を話しはじめ、続くコラボレーション作品『リンカーン』製作時まで継続されていった。

 スピルバーグ自身の鮮烈な記憶をもとに、クシュナーと本人の物語る資質が構築したストーリーは、事実と異なるところもあるが、込められた情の機微は真実だ。描かれるのは、映画という表現に憑かれた少年の軌跡であり、彼を見守る家族の姿である。

 映像づくりに邁進するうち、映像には真実を非情に焼きつける側面のあること、簡単に虚像をつくりあげてしまうことを、身をもって知るストーリーだ。単純な映画愛の物語ではなく、映画表現を知ったがために成長せざるを得ない少年と、家族の軌跡が時代とともに紡がれる。

 出演は『ブルーバレンタイン』などで、たびたびアカデミー賞候補になっている演技派、ミシェル・ウィリアムズが母を演じ、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・ダノが父を演じる。内気な少年にはカナダ出身の新星ガブリエル・ラベルが抜擢された。さらに『スーパーバッド 童貞ウォーズ』のセス・ローゲン、『インデペンデス・デイ』のジャド・ハーシュが脇を固める。

 主人公が映画を知るきっかけは、両親がセシル・B・デミルの大作『史上最大のショウ』を見に連れて行ったことだった。暗い場所を怖がっていたユダヤ人少年は映像のスペクタクルにたちまち魅了される。母は父の8ミリカメラを息子に渡し、少年の興味を掻き立てた。

 科学者を父に持ち、比較的裕福な家庭に育つ少年はホームムービーや映画製作にのめりこんでいく。映画を見ては技術を自分で実践する日々。

 少年は、温厚な父、情熱的で芸術家肌の母、妹たちを、当然のように愛していたが、両親は必ずしもそうではない事実を、映像を通して知る。

 成長するにつれて、世界は過酷であることをも少年は身をもって体験する――。

 スピルバーグは細やかに少年の機微を綴りながら、彼が体験する人生の哀歓、真実をくっきりと描き出していく。トニー・クシュナーの知性溢れる視点と、エモーショナルなスピルバーグの個性が融合。少年の成長物語であるばかりでなく、家族の物語であり、20世紀後半のアメリカ社会を浮かび上がらせる。

 スピルバーグの語り口は細やかで説得力に富み、円熟の極み。派手なエンターテインメントではないが、見る者をグイグイ惹きこむ演出はさすがという他はない。家族の絆の儚さを映像に焼きつけ、切ない思いを浮かび上がらせる。最後に映画ファンなら感涙ものの趣向を用意して、希望を持たせるあたりはエンターテインメントの匠の面目躍如だろう。傑出した仕上がりである。

 出演者ではミシェル・ウィリアムズが群を抜いた存在感だ。ピアニストの夢を捨て、それでも日常にロマンを求める母親をみごとに演じ切る。彼女の表情の豊かさに圧倒される。そして父親役のポール・ダノはこれまでになく受けに徹した演技で勝負している。家族を見守り仕事に生きる、当時の父親像をさりげなく体現してみせた。

 さらにこれまでコメディアンとしてのみ目立っていたセス・ローゲンにシリアスな役を演じさせる。スピルバーグによればほかの候補はいなかったという。これまた琴線に触れる演じっぷりである。

 本作は第95回アカデミー賞の作品、監督、脚本、作曲(ジョン・ウィリアムズ)、美術(リック・カーター)、主演女優(ミシェル・ウィリアムズ)、助演男優(ジャド・ハーシュ)の7部門にノミネートされている。3月13日の授賞式ではどんな結果になるだろうか。