アメリカ映画界のなかで、現在、もっとも際立った動きを見せているのはA24である。この映画配給・製作会社は2012年に設立以降、オリジナリティに溢れた、個性的な作品をいくつも送り出してきた。頭に浮かんだタイトルを並べるだけでも、『ルーム』、『エクス・マキナ』、『ブリングリング』に『スイス・アーミー・マン』などクセのある作品ばかりだ。
さらに『ムーンライト』や『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』、『レディ・バード』に『ヘレディタリー/継承』、『ミッドサマー』など、エッジの効いた作品群で賞レースを賑わせる一方で、おたく感覚の若年層を熱狂させる作品も手掛けてきた。
着実に進化し、世界にその名を認知させたA24がこれまで例のないほどの興行的ヒットを記録中なのが本作である。
この3月12日に行なわれる第95回アカデミー賞においても、本作は作品・主演女優・助演男優・助演女優・監督・脚本・作曲・歌曲の8部門(助演女優候補がふたりいるので)9ノミネートを果たしている。限定公開から始め、評判が評判を呼んで異例の成功を遂げた本作は、アカデミーの結果いかんではさらなる世界的ヒットも期待されている。
それほどの話題作を仕掛けたのは『スイス・アーミー・マン』で注目されたダニエル・クワンとダニエル・シャイナートのコンビ(ダニエルズと呼ばれている)。
ミュージックヴィデオやCFも手がけるふたりは、インターネット時代に生きる私たちの感情を表現する作品を志向し、そこに3つのアイデアを盛り込んだ。①バカバカしいほどの闘いを繰り広げるSFアクションで、②21世紀の移民の家族愛の話。③さらに哲学的命題に行きわたるマルチバース(多元宇宙)映画であることだ。
しかもアジア映画の熱烈なファンであるダニエルズは、日本のアニメーションや香港アクションに対する思いをてんめんと映像に込めた。ふたりの斬新なアイデアは『アベンジャーズ/エンドゲーム』などで知られるアンソニーとジョーのルッソ兄弟の賛同を得て、兄弟のプロデュースが実現。かくしてスピーディでスケールのあるアクション・エンターテインメントが生まれることになった。
ダニエルズが選んだ出演者がまた心憎い。ヒロインを務めるのが1992年に『ポリス・ストーリー3』で、ジャッキー・チェンと互角のアクションのスキルを披露したミシェル・ヨー。『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』ではボンドガールになり、『グリーン。デスティニー』の女剣士ぶりも忘れ難い。近年は『クレイジー・リッチ!』などで客演もこなす。年齢を重ねても輝きを失わない存在だ。
相手役は『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』や『グーニーズ』などに出演し、子役として名を高めたキー・ホイ・クワン。成長してからは武術指導や助監督なども経験したという。今回オーディションで相手役に採用されたのだから、大したものだ。
加えて、『ワンダとダイヤと優しい奴ら』などで人気を誇ったジェイミー・リー・カーティスとテレビシリーズ「マーベラス・ミセス・メイゼル」で注目されたステファニー・スーが色を添える。それにしてこの4人がすべてアカデミー賞にノミネートされているというのも驚きの一語である。
中国からアメリカに移住したエヴリンは、優柔不断な夫ウェイモンド、娘のジョイ、頑固な父とともに、コインランドリー店を経営している。毎日、余裕もなく、仕事をこなすだけで精いっぱいだ。
だが国税庁の監察官から呼び出しを喰らう。国税庁に向かうと、突然、別宇宙から来たというウェイモンドが現れた。姿かたちは同じだが、別宇宙版の彼はタフで逞しい戦士。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と語る。
別宇宙の夫に言われるがまま、マルチバース(多元宇宙)に飛び込んだ彼女は、カンフーの身体能力を手に入れ、まさかの救世主として覚醒して壮大な戦いに身を投じた――。
予想を超える展開と形容すればいいか。なるほど、こういうマルチバースの描き方もあるのだと、ダニエルズに快哉を送りたくなる。あくまで背景は現実感のある場所にマルチバースにワープする面白さ。単なるハチャメチャなSFアクションではなく、才気とアイデアで現代アメリカで暮らす移民たちをしっかり描こうとの、ダニエルズの思いが溢れている。
愉快なのは、この世界ではコインランドリーを経営する生活に疲れた中年女のエヴリンは別の世界ではカンフーの達人、また別の世界では妖艶な女優であること。その宇宙に触れることでエヴリンはスーパーヒロインに昇華していく。このアイデアが抜群にいい。
この世界の登場人物はマルチバースにもそれぞれに役柄がふりあてられている。唯一、エヴリンだけがこの世界の感性を持ってスキルアップしていく趣向となる。始まったら一気呵成、ダニエルズのテンポの速い語り口に幻惑され、ただただ映像に翻弄されつくす。
それでも多様性が求められる、アメリカン・マイノリティ家族の絆の話にきっちり落とし込んでいるあたりがダニエルズの真骨頂である。SNS時代の虚無に対抗するには家族、信頼だと訴えている。
嬉しかったのはエヴリン役のミシェル・ヨーの頑張りである。還暦を超えた年齢相応の生活に疲れた女が、マルチバースのおかげで溌溂としたアクション・ヒロイン、妖艶な女優にまで変貌する。アクションの身体の動きはもちろん、どこまでも美しく溌溂としている。
同じことがウェイモンド役のキー・ホイ・クワンにもいえる。気の弱そうな容姿から戦士までのイメージの幅の広さはおとなになってから苦労を積んだ成果だろう。
国税庁の監察官役のジェイミー・リー・カーティスの弾けっぷり、ジョイ役のステファニー・スーの今どきの娘っぷりも見ていて楽しい。素敵なアンサンブル、4人すべてが、アカデミー賞候補になったのも頷ける。
ユニークさ、楽しさは今年随一。A24の勢いは止まらないと痛感しつつ、まずはご一見をお勧めしたい。