『イニシェリン島の精霊』は落語のような展開の、寓意性に富んだ傑作コメディ!

『イニシェリン島の精霊』 
1月27日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ、渋谷パルコ8F WHITE CINE QUINTOほか全国ロードショー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin
  20th Century Studios All Rights Reserved.

 去る1月11日(日本時間)に開催されたゴールデン・グローヴ賞授賞式で、ミュージカル・コメディ部門の作品賞、主演男優賞、最優秀脚本賞に輝いた作品の登場である。

 脚本と監督を務めたマーティン・マクドナーは、アメリカ映画『スリー・ビルボード』で数多くの賞をさらい、広く認知されたが、もともとはロンドンで生まれたアイルランド人で、まず劇作家として名を馳せた。「ビューティ・クイーン・オブ・リーナン」をはじめ、数々の戯曲を発表。世界的に知られる存在となった。

 もっとも本人は舞台よりも、映画を志向していたようで、まず短編映画『シックス・シューター』を発表、めでたく第78回アカデミー賞短編映画賞に輝いた。これに力を得て、長編デビュー作『ヒットマンズ・レクイエム』、さらに『セブン・サイコパス』を世に送り出した。巧みな人物造型にブラックなユーモア、ヒネリのあるストーリーを身上としている。本作では『スリー・ビルボード』以上に、その個性が横溢している。小さな島で起きたささやかな葛藤が描かれるが、皮肉で普遍性に富み、アイルランドの歴史を象徴するような展開となっている。

 出演者もすばらしい。いずれもマクドナー作品の常連で、テレンス・マリックの『ニュー・ワールド』やヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』でも個性を発揮したコリン・ファレルと、メル・ギブソンの『ブレイブハート』や『ジェネラル 天国は血の匂い』などで知られるブレンダン・グリーソンの顔合わせ。さらに『ダブリン上等!』のケリー・コンドン、『ダンケルク』のバリー・コーガンが加わる。ともにダブリン生まれ。生粋のアイルランド人であり、その気質を表現するのに恰好の俳優たちといえる。丁々発止の演技合戦が最大の見ものだ。

 舞台は1923年のアイルランド、本土から離れた架空の地イニシェリン島だ。内戦に揺れる本土と違って、貧しいながらも辛うじて平和が保たれていた。

 島民のパードリックは単純無垢、気のいいところが取り柄で、皆から好かれ、毎日、労働に汗している。パブで交わす酒と他愛ない会話に幸せを感じていた。

 ところが、彼のささやかな幸せに突然、暗雲が立ち込める。一番の飲み仲間のコルムが彼に絶交を告げてきたのだ。身に覚えのないパードリックが理由を尋ねると、「お前は何もしていない。ただお前が嫌いになった」といわれる。

 コルム相手に飲むことを喜びとするパードリックは納得がいかない。コルムは「お前のつまらない話に時間を取られたくない」と言う。フィドル弾きで作曲もする年上のコルムは残された時間を大切にしたいのだ。

 粘るパードリックに、コルムは最後通告をする。「これ以上煩わせたら、俺の指を切ってお前にくれてやる。お前が話しかけるのを止めるか、俺の指がなくなるか」と宣言した。単なる脅しではなかった。パードリックと一徹なコルムの反目は、次第に島の空気を不穏なもの変えていく――。

 滑稽でまるで落語のような展開のドラマが繰り広げられる。ブラックでユニークな設定を得意とするマクドナーの真骨頂といってもいい。ただ日々を楽しく過ごしたいパードリックと、人生の終わりがみえて何か足跡を残したいと焦るコルム。いずれも市井の人間の典型だ。どちらもシンプルに自分の生き方を守りたいだけなのだ。

 マクドナーはこの展開とともに映像から哲学的命題を浮かび上がらせていく。諍いは単純に始まり、やがて収拾のつかなくなっていく。その事実をこのコメディを通して明らかにしている。

 ストーリーの端々に織り込まれる本土からの爆発音は象徴的だ。宗教対立が内戦の理由というが、ある日突然に憎みあい、闘う理由は人間の根源的なものに由来しているのではないか。ふと嫌いになることから始まっていても不思議はない。マクドナーは登場人物のなかで、牧師と警官だけは権威主義的な存在として描く。反骨精神を見ることができる。

 出演者もいずれもすばらしい。単純無垢なパードリックを演じたコリン・ファレルの誠実なイメージが、物事に翻弄される人間像を巧みに表現して、見る者を惹きつけるし、コルム役のブレンダン・グリーソンの頑固な表情も作品に奥行きを与えている。ファレルは本作の演技で、先に述べたゴールデン・グローヴ賞のミュージカルコメディ部門の主演男優賞、2022年ヴェネチア国際映画祭男優賞に輝いた。

 イニシェリン島は架空の地だが、アラン諸島などにロケーションを敢行、その厳しい気候風土を映像に焼きつけ、おかしくも哀しい人間喜劇を生み出した。

 まるで神話のような寓意性に富んだストーリーを巧みに操りながら、情緒に溢れた映像を生み出したマクドナー監督に拍手を贈りたい。