『ナイトメア・アリー』はギレルモ・デル・トロのこだわりの映像にしびれるフィルムノワール。

『ナイトメア・アリー』
3月25日(金)より、TOHOシネマズ日比谷、新宿ピカデリー、新宿バウト9、グランドシネマサンシャイン池袋ほか、全国公開
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©) 2021 20th Century Studios. All rights reserved.
公式サイト: https://searchlightpictures.jp/movie/nightmare_alley.html

 メキシコ映画界には、アルフォンソ・キュアロンやアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥなど、アメリカのアカデミー賞を賑わす個性豊かな監督が数々存在するが、ギレルモ・デル・トロも注目されるべき存在だ。

 特撮メイクのスタッフとして映画界に入り、メキシコ製ホラー『クロノス』で監督になる。彼が注目され始めたのは『ミミック』なるホラーでアメリカ映画デビューを果たしてからだ。日本のアニメーションやコミックが好きで、造詣も深いおたく体質。以降、コミックの映画化『ブレイド』やダークファンタジーの『パンズ・ラビリンス』、ロボット・アクションの『パシフィック・リム』など、趣味を活かした作品を次々と手がけ、若者を中心に人気を集めていく。

 彼が幅広い支持を集めたのは、2017年の『シェイプ・オブ・ウォーター』だった。不思議な生きものと唖者の女性の切ない恋を描いて、アカデミー作品賞と監督賞を手中に収めた。題材はおたく的だが、画面に描かれる感情は共感度が高い、心に沁み入ると評価は高まり、演出力の巧みさに絶賛が相次いだ。

 アカデミーに輝き、認知度の高い存在になった後、デル・トロがどんな作品で勝負するか、誰もが興味津々だったが、発表した本作は、アメリカ映画の黄金時代に量産されたフィルムノワールの世界だった。

 デル・トロは、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムが1946年に発表した「ナイトメア・アリー 悪夢小路」をもとに、映画ライターのキム・モーガンとともに脚色。原作よりも女性キャラクターを際立たせ、数多くの名作の引用を交えながら、人間の業の強さと愚かさを前面に押し出してみせる。凝った美術、セットを駆使した映像で人間の闇に分け入ったストーリーを構築して、みる者を釘付けにする。

 時は1939年。食い詰めた流れ者のスタンは“獣人”を見世物にしているカーニバル一座に潜り込む。カーニバルの売り物の“獣人”というのはプライドを捨て去った普通の人間だった。

 後ろ暗い過去を持つ彼は、上昇志向のある野心家。たちまち読心術師の女性ジーナといい仲になり、彼女の読心術の技を身に着ける。だが、ある事件から、居心地の悪くなったスタンは、電気に耐性のある清純な女性モリーをたぶらかして一座を抜け出す。

 2年後、読心術師として一流のクラブに出演するまでに成り上がったスタンだが、モリーとの仲は秋風が吹き始めていた。スタンは、妖艶な心理学者リリスと運命的な出会いを果たし、彼女の意のままに色と欲の破滅の道に突き進んでいく――。

 主人公のスタンは心に闇を抱えた、どこまでも人間的なキャラクターだ。色欲に溺れ、貪欲。当然、長所もあるわけで、性格的な弱さを含め、我々と変わらない。どこまでも等身大に設定されている。

 映画おたくでもあるデル・トロは往年のフィルムノワールの要素を随所に散りばめながら、分断化が進む現代に通底するストーリーに仕上げている。言葉を変えれば、格差社会アメリカは今も変わらないということなのだ。デル・トロは主人公スタンによって、人生を激変させられる三人の女性たちを設定し、フィルムノワールの定番である主人公の生き方を狂わす“運命の女”の設定を、“運命の男”という趣向に変えたのだという。

 それにしてもダークに抑えられた色彩映像が見る者を惹きこんで止まない。ここでは超自然的な題材は登場しないが、人間の心の闇の深さ、果てしない欲望が、ホラーに勝るとも劣らない恐怖をもたらしている。官能性に満ち満ちた映像に酔わされ、最後までストーリーに翻弄される。冒頭に紹介された“獣人”の存在が最後に生きる寸法。デル・トロの円熟した演出力には、まこと脱帽するしかない。

 デル・トロが集めた出演者も充実している。『アリー/スター誕生』で監督としても才能を発揮したブラッドリー・クーパーを主人公のスタンに据え、過去から逃れて成功をひたすら渇望する主人公を、存在感たっぷりに演じさせる。コメディもシリアスもこなす彼が、人間の愚かしさを熱演している。

 また、往年の”運命の女”のイメージそのまま、悪魔的な妖艶さのいでたちのリリスは『ブルー・ジャスミン』のケイト・ブランシェットが雰囲気たっぷりに表現し、読心術師ジーナは『めぐりあう時間たち』のトニ・コレット、モリーに『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラを起用するなど、それぞれキャラクターを活かした、個性重視のキャスティングが成されている。

 コロナ禍で撮影中断にもめげずに完成させた、思いのこもった作品だ。迷宮のような世界を、欲の衝動であがく。人間の心の闇をみごとに映像化したサスペンス・スリラー。脂の乗り切ったデル・トロ流のフィルムノワールを堪能されたい。