『オン・ザ・ロック』はソフィア・コッポラとビル・マーレイが幸せな余韻に誘う、ニューヨーク的コメディ。

『オン・ザ・ロック』
10月2日(金)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国ロードショー。10月23日(金)よりApple TV+にて世界配信
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
©2020 SCIC Intl Photo Courtesy of Apple
公式サイト:http://ontherocks-movie.com/
 

 2003年に発表された『ロスト・イン・トランスレーション』はソフィア・コッポラの監督としての才能を広く知らしめた作品だった。

 東京・新宿の高級ホテル、パーク ハイアット東京を舞台に、落ち目の初老ハリウッド俳優と写真家の新妻との淡いふれあいを繊細かつユーモラスに描いて、演出力の確かさ、センスの良さを映像にくっきりと焼きつけてみせた。

 コッポラ自身の来日体験をもとに、日本という異世界にいることの孤独感、現代人の互いに理解しあうことの難しさをさらりと紡ぎだした。いわばコッポラの心境を素直に表した作品といえるだろうか。

 とりわけ初老のハリウッド俳優を演じたビル・マーレイのひょうひょうとした存在感が素晴らしい。彼の軽味に満ちた個性を存分に引き出して、おかしみと哀愁をさりげなく醸し出させる。第76回アカデミー賞ではコッポラが脚本賞のみを獲得したが、ビル・マーレイにも受賞させたかったとつくづく思う。

 コッポラの軌跡は以降、『マリー・アントワネット』や『ブリングリング』、『SOMEWHERE』、『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』といった個性的な作品に彩られるわけだが、2015年の『ビル・マーレイ・クリスマス』が異色だった。

 ビル・マーレイ自身がクリスマス・イヴに老舗のカーライル・ホテルで自分のショーを開くことになり大騒動に発展するというミュージカル・コメディ。Netflixでの放映となった小品ながら、オールスターキャストで音楽も好評。洒脱な仕上がりとなった。

 相性の良さ再確認したか、本作の登場となる。ソフィア・コッポラのビル・マーレイとのこの三度目のコラボレーションでは、ニューヨークで仕事を持ち、母であり妻でもある自分自身の心境を反映した作品となっている。彼女の分身であるヒロインには、ジャズ界の巨星クインシー・ジョーンズの娘のラシダ・ジョーンズ。モデル、ミュージシャンの貌をもあれば、『セレステ∞ジェシー』では脚本も書き、主演もした多才の人。コッポラが起用したのは彼女が『ビル・マーレイ・クリスマス』に出演し、ビル・マーレイとの呼吸がぴったり合っていたからだという。本作でもふたりの掛け合いが最大の魅力となっている。

 愛する夫がいて、子育てと作家としての仕事の両立に奮闘するローラは、ふとしたことから夫のディーンと仕事仲間の女性との仲を疑いはじめる。彼女の相談相手になるのは、プレイボーイで口八丁手八丁の父フェリックスだった。

 ローラを愛するフェリックスは娘に男心の危うさを説き、彼女とともに夫の尾行調査を始める。親子の“探偵ごっこ”はニューヨークの名所を巡る様相を呈し、この非日常的行動によって、ローラはワクワクする時間を取り戻すが、彼女の予想を超えて、事態は思わぬ展開をみせることになる――。

 本作もまたソフィア・コッポラの心境を素直に反映した内容となっている。大都会ニューヨークの多様な暮らしをスケッチしながら、仕事と家庭を両立させることの大変さを描き、夫と妻のつながりに対する父親世代とのギャップを浮かび上がらせる。ストーリー的には夫への信頼を軸にした、家族の絆のコメディといえる。

「軽いトーンで、自分の人生について私自身が考えていることに関連した作品を作りたかった。そこで、ニューヨークの街のエネルギーを描いた、面白くて、スタイリッシュなニューヨークのコメディを作るというアイデアに惹かれたの」

 ソフィア・コッポラは本作製作の動機について、かように語っている。父親であるフランシス・コッポラが代表する世代に向けた皮肉を含め、まことに軽やかにストーリーを綴っている。言ってみれば、多様な人々が混在する大都会の多彩な側面をスケッチした、コッポラなりの心境コメディなのだ。

 それにしてもコッポラとビル・マーレイの相性はみごとに決まっている。マーレイはコッポラの指導よろしく、快楽を求めて人生を生きる父、フェリックスを素敵に体現してくれる。人をそらさず、ジョークもふんだんに人を魅了するキャラクターが年齢を重ねたマーレイにぴったりとフィットしている。娘との“探偵ごっこ”に興じ、娘への眼差しにペーソスを湛えるあたり、名優の域である。コンスタントに作品に出演しているが、彼の魅力をくっきりと映像に焼きつけているのは、コッポラだけである。

  決して超大作というわけではないが、ニューヨーク生活を活写し、ほのぼのと幸せな気分に誘ってくれるコメディ。誰もが楽しめる素敵な仕上がりだ。