『ジョーンの秘密』は時代の波に洗われ、数奇な軌跡を選んだ英国女性の驚くべき実録ドラマ!

『ジョーンの秘密』
8月7日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
© TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018
公式サイト:https://www.red-joan.jp/

 昔から「事実は小説より奇なり」ということばがあるが、現実の方がフィクションを超えて驚きに満ちている。実話の映画化が増える理由でもあるわけだが、本作も激動の時代に翻弄された女性の軌跡をもとにしている。

 2000年に英国情報部MI5が80歳を優に超えた老女を逮捕した。容疑は、ソヴィエト連邦時代にKGBのスパイとして機密漏洩。そこから戦時下の若き日に核開発の部署で働くことになった彼女の軌跡が綴られる展開。

 当時は、イデオロギーを超えて連合軍としてドイツや日本相手に共闘しながらも、アメリカ、英国、ソ連は互いに諜報活動を行なっていた。そうした状況のなかで、運命に流されることを潔しとせず、誠実に生きようと努力した女性像が細やかに描かれていく。

 原作は事実をもとに書かれたジェニー・ルーニーのベストセラー小説「Red Joan」。これをもとに、プロデューサーであり、脚本家としてもテレビを中心に活動するリンゼー・シャピロが脚色。スリリングな展開を維持しつつ、ひとりの女性の心情をくっきりと浮かび上がらせるストーリーを構築した。

 なにより監督に起用されたのが英国演劇界の重鎮トレヴァー・ナンなのだから嬉しくなる。シェークスピアからオペラ、ミュージカルまで多彩なステージを演出し、トニー賞やローレンス・オリヴィエ賞をはじめ数々の賞に輝く存在だ。映画では1985年のへレム・ボナム=カーターの映画デビュー作『レディ・ジェーン/愛と運命のふたり』や1996年の『十二夜』が知られている程度。ステージとテレビに軸足を置いた活動してきた。

 そのナンが監督を引き受けたというので、主演のジュディ・デンチは脚本を読む前でありながら、即座に引き受けたという。ナンとは「マクベス」をはじめ数多くのステージで仕事をし、信頼しあう間柄だったからだ。

 デンチが主役に座ったことで、実録ドラマの意匠に人間ドラマとしての深みが加わった。激動を生き抜き、静かな終末を迎えようとしていた老女が過去の出来事に否応もなく直面させられる。彼女のなかに去来する矜持と悔いをデンチは巧みに演じている。

 ヒロインの若き頃を『キングスマン』のソフィー・クックソンが扮し、共演陣も『女王ヴィクトリア 愛に生きる』のトム・ヒューズ、『ダウントンアビー』のスティーヴン・キャンベル・ムーア、テレビドラマ「ザ・クラウン」のベン・マイルズなどなど、実力派俳優で占められている。

 2000年5月、郊外で穏やかに独り暮らしをしていたジョーン・スタンリーは、突然、訪ねてきた英国諜報機関MI5に逮捕される。

 容疑はソヴィエト連保時代のKGBに機密情報を流したといわれる。ジョーンは否定するが、既に死亡した英国外務事務次官W・ミッチェル卿の残した資料に、彼女と共謀して機密資料を流した証拠が出てきたという。

 取り調べは1938年にまで遡った。ジョーンがケンブリッジ大学で物理学を学んでいた頃にユダヤ系ロシア人のソニアと知り合い、共産主義の会合に参加。ソニアの従弟のレオを紹介され、たちまち強く惹きつけられる。W・ミッチェル卿とはこの会合で知り合うことになった。

 1941年には大学で優秀な成績を収めたジョーンはマックス・デイヴィス教授から原爆開発の機密任務に起用される。レオはその情報をソ連に提供するように彼女求めるが断わられる。アメリカ、カナダと共同した研究の成果は広島と長崎の原子爆弾投下に結実した。何十万人に及ぶ死傷者、焼け野原の現実を見て、ジョーンは激しく動揺する。自責の念に駆られた彼女はある決断をする。

 それから半世紀を経て、名前と容疑が報道されたことから、彼女は自宅前で記者会見を行なった――。

 トレヴァー・ナンは、ジョーンが本当にスパイなのか否かの興味でぐいぐいと見る者を惹きこみつつ、彼女の激動の青春時代の体験と成長を丁寧に綴っている。取り調べから過去につながる構成で、20世紀の激動を活写。ジョーンは優秀であるがゆえに機密に携わることになり、思惑を秘めた人間たちが近づいてくる。それでも彼女は自分の良心にもとる行為はとらない。あくまでも信念に対して正直な選択をする。

 仔細は作品を見て判断いただければと思うが、彼女の心に“均衡化する”という発想が生まれたことは分からなくもない。

 なにより驚くのは第2次大戦以降の核開発競争の裏に、こうした存在が現実にいたことだ。実在の人物はメリタ・ノーウッドという名前らしいが、結果として世界を大きく変える役割を担うことになった。映画はこの女性の心の軌跡を誠実に浮かび上がらせている。

 もちろん、ジュディ・デンチが演じる現在のジョーンが作品に迫力をもたらしたことはいうまでもない。決してセリフが多いわけではないが、画面にいるだけで圧倒的な存在感を漲らせる。若い時代のジョーンを演じるソフィー・クックソンの聡明さと相まって、ジョーンというキャラクターがこの上なく魅力的につくられている。

 決して派手なイメージではないが、ストーリーに惹きこまれ、俳優たちの演技に拍手を送りたくなる。みごとな仕上がりである。