『この世の果て、数多の終焉』は戦争の狂気をリアルに沁みこませたフランス製ベトナム戦争映画。

『この世の果て、数多の終焉』
8月15日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
配給:キノフィルムズ
公式サイト:https://www.konoyonohate.jp/

 ベトナム戦争を題材にした映画といわれると、まず頭に浮かぶのは『ディア・ハンター』や『プラトーン』をはじめとするアメリカ映画だ。

 フランシス・コッポラが私財をなげうって完成させた『地獄の黙示録』や、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』、ブライアン・デ・パルマの『カジュアリティーズ』、さらにはバリー・レヴィンソンの『グッドモーニング,ベトナム』もあった。当事国のアメリカが、悔恨からノスタルジーまで、さまざまな思いを込めて量産したことが大きい。

 ゲリラ的戦闘で臨む不屈のベトナム兵士に対して、物量豊富ながら異国に派遣されたアメリカ軍兵士。自らの大地のために戦う兵士とのモチベーションの違いは明らかだった。アメリカ軍兵士にとっては、それまで見も知らなかった異国での戦いに生命を賭けるのだから、力は入らない。物量だけでは戦争に勝てないことを証明したのがベトナム戦争だったといってもいい。

 ベトナム人にとっては長年、フランスの植民地として耐えてきた時期があり、自分たちの政府の国をつくる目標のもとで戦い続けてきた歴史がある。

 本作はベトナムを舞台にしているものの、時代は第2次世界大戦末期に遡る。ラオス、カンボジアとともに、ベトナムはフランス領インドシナと呼ばれていた時代だ。

 1945年頃は、日本軍とベトナム解放軍(ベトミン)が暗躍、植民地を護りたいフランスを脅かしていた。同じ年の3月に突如、日本軍はクーデターを起こし、それまで協力関係にあったフランス軍を一斉に攻撃した。ベトミンが黙認するなか、女性、子供も含め多くのフランス人が虐殺された。

 本作はこの事実から幕を開ける。虐殺死体の山に潜んで助かったフランス人、ロベール・タッセンが主人公だ。兄夫婦が虐殺された彼は、日本軍を恨むことよりも、見て見ぬふりをしたベトミンの将校ヴォー・ビン・イェンを仇として、次第に狂気の淵に彷徨っていく。

 戦場の狂気に毒され、復讐心のみを拠りどころにジャングルに分け入る主人公の姿が悪夢のように綴られる。この時代は資料映像も少なく、想像力を駆使するしかなかったというが、『ストーン・カウンシル』や『愛と死の谷』で知られるギョーム・ニクルーは『華麗なるアリバイ』のジェローム・ボジュールとともに、幻想の入り混じった事実という視点のもと、脚本を仕上げた、鮮烈な映像がなにより圧倒的だ。

 主演は『ハンニバル・ライジング』や『たかが世界の終わり』など、多彩な作品歴を誇るギャスパー・ウリエル。さらに『ぼくを探しに』のギョーム・グイ、名優ジェラール・ドパルデューまで充実した顔ぶれ。とりわけベトナム娼婦を演じたラン=ケー・トランの情感に満ちた容姿が心に残る。

 虐殺を逃れ、フランス軍に復帰したロベール・タッセンはジャングルでのゲリラ戦に身を投じる。執念の鬼と化して捜索を続けるが、仇の消息はつかめない。

 つかのま、ベトナム人娼婦マイとの交情に人間らしさを取り戻すが、彼女を心の底から受け入れることができない。

 敵の捜索のために、ジャングルのさらなる奥地に向かうことになったタッセンは、絶対的な狂気の地に足を踏み入れることになるのか――。

 派手なアクションが繰り広げられるわけではない。ただ、湿気の強いジャングルのそこかしこに、この世の地獄といいたくなるような、戦場の生々しい光景が現出するのみ。

 至る所に人間の尊厳をはく奪された、肉体を細切れにされた死体が散乱し、兵士はどこから襲われるか分からない恐怖のなかで疲弊し、人間らしい感情を失っていく。ニクルーは主人公の精神が壊れていくプロセスを、即物的なリアリズムと湿気、幻想的な映像を駆使してみる者に焼きつけていく。

 地獄でも人間的な感情を保てるのかという命題はベトナムの戦争を扱った作品の定番であるが、本作も例外ではない。さらに、主人公のタッセンには当時のインドシナ在住のフランス人の例にもれず、植民地意識があり、ベトナム人に対するある種の差別意識を秘めている。味方のベトナム人兵士に対する扱いや、娼婦マイに対する態度でも明らかだ。彼女に心を許しきれないのは娼婦で、しかもベトナム人というところも大きいのではないか。

 主人公の偏狭さや狂気を諫める存在として、ジェラール・ドパルデュー扮する現地在住の作家が登場するが、これは彼の葛藤を際立たせるだけの存在というべきだろう。当時の状況を考えると、主人公の方がよりリアルな存在感がある。

 ベトナムのジャングルで撮影を敢行した、ニクルーの徹底したリアリズム演出が画面に瘴気漂わせ、タッセンを演じたギャスパー・ウリエルが、地獄を彷徨い、修羅に身を置く男の哀しみを画面に焼きつける。なによりマイ役のラン=ケー・トランの可憐さが心に残る。

 映像に惹きつけられ、思わずベトナム歴史に思いを馳せる。戦争に人間の尊厳を求めるのは無理な話だが、本作のように物体化した死体を見せつけられると言葉を失う。決して派手ではないが、見応え十分の仕上がりである。