『今宵、212号室で』はおとな感覚のファンタスティックなラブストーリー。

『今宵、212号室で』
6月12日(金)より、Bunkamuraル・シネマ、シネマカリテ他全国順次公開
配給:ビターズ・エンド
©Les Films Pelleas/Bidibul Productions/Scope Pictures/France 2 Cinema
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/koyoi212/

 コロナウィルス禍の緊急事態宣言が緩和され、映画館がようやく新作を公開できる状況になったことはまことに喜ばしい限りだ。これまで全国の映画館が一斉に閉じる状況は例がなかっただけに、新作映画に接することができる喜びはひとしおである。

 再開第1回は肩の凝らないファンタジックなフランス作品である。洒脱でエスプリの効いた愛のコメディといえばいいか。本作は第72回カンヌ国際映画祭の“ある視点部門”で、主演のキアラ・マストロヤンニが最優秀演技賞を受賞したことでも話題となっている。

 キアラ・マストロヤンニといえば、父親がイタリアの美男マルチェロ・マストロヤンニで母は美女の誉れ高いカトリーヌ・ドヌーヴだ。ただ俳優としての軌跡は、華やかな両親に比べるとむしろ着実で地味な印象がする。父親とは『プレタポルテ』や『三つの人生とたった一つの死』で共演し、母とは、セザール賞有望若手女優賞にノミネートされたデビュー作『私の好きな季節』や2010年の『クリスマス・ストーリー』、2011年の『愛のあしあと』、2019年の『アンティークの祝祭』まで、折に触れて共演している。

 女優として着実な歩みをみせ、アルノー・デプレシャンの『そして僕は恋をする』(1996)やマノエル・デ・オリヴェイラの『クレーヴの奥方』(1999)で主役を務めたことも忘れがたい。

 本作で彼女が演じるのは、司法・訴訟史を専門とする大学教授。結婚して20年の夫が“家族”と化したことに飽き足らず、さまざまな男性と浮名を流すキャラクターを演じる。その事実が夫にばれた晩、彼女はアパルトマンの向かいにあるホテルに家出し、そこでファンタジックな体験をする。

 監督・脚本は『愛のあしあと』のクリストフ・オノレ。マストロヤンニのコケティッシュな魅力を引き出し、開放的で軽やかなキャラクターに仕立てている。なにより誠実な夫役にマストロヤンニの元夫で人気ミュージシャンでもあるパンジャマン・ビオレが起用されたこともおかしい。

 加えて『アマンダと僕』のヴァンサン・ラコストと、Netflixのテレビシリーズ「エージェント物語」で人気を博したカミーユ・コッタン。さらに『美しすぎて』などで知られるキャロル・ブーケまで顔を出す。

 25年前からつきあいはじめ、結婚して20年。夫リシャールとの仲もときめきがなくなり、“家族”と化している。そのことを口実に、大学教授のマリアはさまざまな男性と事あるごとにアバンチュールを楽しんでいた。

 マリアは男子学生に別れを告げた晩、リシャールに浮気がばれてしまう。悲しい表情を浮かべ、自分は浮気をしたことがないというリシャールにうんざりして、マリアはアパルトマンを抜け出し、向かいのホテルの212号室に泊まることにする。

 深夜、その部屋にやってきたのは20年前の姿をしたリシャール。マリアは思わず彼を抱きしめるが、訪問者は彼に留まらなかった。リシャールの元ピアノ教師で恋人だったイレーヌが立ち塞がり、リシャールを返すように迫る。

 さらにマリアが浮名を流した凄まじい数の男たちが来襲し、シャルル・アズナヴールそっくりの男まで現れる。

 もはや収拾のつかない混乱のなかで、リシャールだけは変わらなかった。騒乱の一夜はどのような結末を迎えるのだろうか――。

 シャルル・アズナヴール「Désormais/これからは」、ジャン・フェラ「Nous dormirons ensemble/愛の絆」 といったシャンソンの名曲を挿入しながら、クリストフ・オノレは皮肉の効いたユーモアを随所に散りばめる。どこまでも開放的なヒロインと誠実な夫という、女性主導の図式のなかで、変わらぬ愛、情熱はあり得るのかを考察している。しかも、展開が予想を超えて、一筋縄ではいかない。キャラクターたちが交錯し、思わぬ方向に行くのも楽しい。

 まして、夫婦だったマストロヤンニとパンジャマン・ビオレに奔放妻と誠実夫の設定を与えるあたりは、見る者がどこまで真実なのかと想像をたくましくさせる趣向。マストロヤンニとのつきあいが深い監督ならではの遊び心だろう。

 浮気者のヒロインは責められるが、本人は歯牙にもかけていない点も新鮮だ。向かいのホテルの部屋からアパルトマンを眺め、自分の人生を省みようとするのだが、あくまでもありのままの自分でいる姿が潔い。オノレはキアラ・マストロヤンニのスリムな肢体を存分に映像に焼きつけ、ヒロインを称えている。クール・ビューティの容姿で裸も辞さず、滑稽さと哀しみを浮かび上がらせる、マストロヤンニの熱演はなるほど賞にふさわしい。

 ちなみに212号室の由来は、フランスの民法212条の「夫婦は互いに尊重し貞節であること」にあるらしい。想定通りといえるが、このさりげない結末もいい。

 大人になるほど味わい深いロマンチック・コメディ。こうした作品から映画館通いをするのも一興である。