『凱里ブルース』は中国映画の若き旗手、ビー・ガン(毕赣)の刺激的で溌溂とした初長編監督作。

『凱里ブルース』
5月9日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国ロードショー
配給:リアリーライクフィルムズ+ドリームキッド
© Blackfin (Beijing) Culture & MediaCo., Ltd – Heaven Pictures (Beijing) The Movie Co., – LtdEdward DING – BI Gan / ReallyLikeFilms
公式サイト:https://www.reallylikefilms.com/kailiblues

 

広大な領土を誇る中国は、いうまでもなく漢民族のみならず多くの少数民族が暮らし、地域によって生活、文化状況が異なる。それぞれの地域に独特の個性が育まれているわけだが、北京、上海などの大都会からの発信力の大きさにとかく阻まれてきた。

中国映画界がハリウッドに資金援助する流れに乗って、映画も勧善懲悪のエンターテインメントにひた走るなかで、ジャ・ジャンクー(賈樟柯)をはじめとするインデペンデントの映画監督が地方の実情を映像に焼きつけてきた。中国山西省・汾陽(フェンヤン)に生まれたジャ・ジャンクーは故郷に閉塞感に覆われた状況を映像に焼きつけ、海外で評価される手法で力作を撮り続けている。

こうした活動はドキュメンタリーの巨星ワン・ビン(王兵)に引き継がれ、とりわけ近年は若手監督の台頭を促している。惜しくも完成直後に生命を絶った『象は静かに座っている』のフー・ボー(胡波)や、本作で世界中を驚かせたビー・ガン(毕赣)が代表格である。いずれも大都会ではない地方の実情が色濃く反映されている。

ビー・ガンは貴州省凱里の出身だ。そもそも貴州省は中国の西南地区に位置し、四川省、湖南省、チワン族自治区、雲南省と接している。ここは少数民族ミャオ族が多く住む地域で、ビー・ガンもその出自という。亜熱帯地域に属すと辞書に記されているが、あまり日本では紹介される機会もなかった場所という印象だ。

日本では公開が逆になったが、長編映画監督第2作『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』がすでに公開されている。作品の後半60分を3Dワンシークエンスショットで撮り上げた手法が注目され、多くのアーティストたちが褒めたたえて、お洒落なアート作品という印象だった。

“中国映画界が送り出した新世代”という惹句はその通り。ただビー・ガンをより理解するためには本作に触れる必要がある。本作はいってみれば第2作のプロトタイプであり、監督の個性を理解するのに格好のものといえる。

2作ともビー・ガンの生まれ育った凱里を舞台にし、旅するうちに時空を超え、記憶が交錯する世界に入りこんでいく展開も共通している。第2作の映画史上初の3D手法も、本作では40分に渡るノーカット・ロングショットで既に試みられている。聞けば、本作は恩師の資金援助によって、わずか35万円の予算で撮影をスタート、その後1600万円を借金して完成にこぎつけたという。初号完成後に実績のあるプロデューサーが参画し、サウンド面を完璧にすることができた。まるで映画おたくの夢を具現化したかのようなプロセスとなった。

本作はロカルノ国際映画祭に出品されるやセンセーションを巻き起こし、新進監督賞並びに特別賞に輝いた。鑑賞する機会を得たジョナサン・デミやギエルモ・デル・トロといった匠たちは本作を激賞、ビー・ガンの名は一躍広まることになった。

出演はビー・ガンの実の叔父であるチェン・ヨンゾンを軸に、ルナ・クォック、ユ・シシュ、シエ・リクサンなど、馴染みのない顔ぶれとなっている。

 

エキゾチックな香りのする、霧と湿気に包まれた貴州省凱里市の小さな診療所に、チェンは、老齢の女医と暮らしている。

刑期を終えて戻ってきたとき、会うことを熱望していた妻はこの世になく、亡き母の記憶とともに彼の心に影を落としていた。

しかも可愛がっていた甥も弟によってどこかに連れ去られてしまった。チェンは甥を連れ戻す為に、また女医のかつての恋人に想い出の品を届ける為に旅に出る。

辿り着いたのは、“ダンマイ”という名の、過去の記憶と現実と夢が混在する、不思議な街だった──。

 

寄る辺なき男の彷徨と形容すればいいのか。あるいは思いのこもった世界に至るロードムービーというべきか。主人公の中年男が醸し出す哀愁を味わいつつ、繰り広げられるビー・ガンの脳内世界を堪能する旅。ビー・ガンは凱里の風景にもっともヴィジュアルの影響を受けたとコメントしているが、もちろん登場する凱里は変貌を続ける実際の凱里ではない。あくまでも記憶で再構築された、彼なりの夢幻の世界だ。もちろん、生まれ育った場所の湿度と水の記憶が映像に大きな影響を及ぼしていることは疑いがない。

なにより嬉しいのは、作品を生み出す喜び、意志が映像の端々からにじみ出ていることだ。溌溂とした姿勢のもと、さまざまなアイデアが実践され、それが見る者の快楽を導き出す。映画の後半の40分に及ぶノーカット・ロングショットも最初は見る者に緊張感をもたらすが、次第に稚気に満ちた手法に快哉を叫びたくなる。カメラが対象を離れてショートカット、そこで対象を待ち伏せするなんて趣向には、思わずニヤリとさせられる。

ビー・ガンが筋金入りの映画おたくであることは疑いがなく、影響を受けたアンドレイ・タルコフスキーやウォン・カーウァイ、ホウ・シャオシェンをほうふつとするショットも登場する。映画ファンならば好きにならずにはいられない初々しさなのだ。

 

出演者では実際に裏社会にいたこともあるというチェン・ヨンゾンの存在感が際立つ。にじみ出る迫力がくっきりと焼きつけられている。立っているだけでも絵になるし、彼の風貌がドラマを感じさせる。ビー・ガンが第2作にも起用したわけが分かる。

 

ビー・ガンの魅力を実感するためには、本作を見てから『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』に向かう方がいい気がする。ビー・ガンは間違いなく中国映画の新しい個性。一見をお勧めしたい。