「カセットテープ・ダイアリーズ」は1980年代後半のイギリスを舞台にした、好もしい青春映画!

『カセットテープ・ダイアリーズ』
近日ロードショー
配給:ポニーキャニオン
©BIF Bruce Limited 2019
公式サイト:http://cassette-diary.jp/

 

日本だけ認めようとしないが、現存する国々はすべて多民族国家だ。

とりわけヨーロッパ諸国はかつて植民地を持っていた時期があり、必然的にその地域の人々が流入した経緯があるし、近年に至ってはグローバル化が叫ばれ、豊かさを求めた移民や、紛争地からの難民がどっと押し寄せた。もうこの流れを止めることはできない。

もちろん、ヨーロッパのなかの島国イギリスも例外ではない。かつて植民地だったインドやパキスタン、中國、ジャマイカなどから多くの人々が移住し、さらにEU加入期には移民、難民が大挙してやってきた。もともと階級社会であるところに、安い賃金で働く階層が生まれたことによって、あおりを食った労働者階級との軋轢も生まれることになった。

こうした現実を踏まえて本作を見ると、興趣もひとしおのものとなる。音楽によって自分らしく生きることを見出した少年のヴィヴィッドな青春映画であるばかりでなく、1987年という時代設定のなかに多民族社会の厳しい現実が散りばめられているからだ。

当時は“鉄の女”マーガレット・サッチャーの政権下で新自由主義を標榜していた頃。組合や労働者をあまり省みず、経済優先。企業を維持するためには大幅なリストラもあえて是とされた。必然的に労働者階級は自分たちの仕事を奪う移民たち・インド系やパキスタン系への排斥運動が巻き起こった――。

こうした時代背景のもとで、ひとりのパキスタン人高校生の軌跡が綴られる。原作はイギリス・ガーディアン紙のジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの回顧録「Greetings from Bury Park :Race. Religion. Rock ‘N’ Roll.」。原作をもとにマンズール自身が脚本に参画。『ベッカムに恋して』や『英国総督 最後の家』などで注目されたグリンダ・チャーダとともに瑞々しいストーリーにまとめ上げた。

ナイロビ生まれのインド系であるグリンダ・チャーダが監督を引き受け、決してバラ色ではなかった時代を背景に、ヴィヴィッドな青春を爽やかに綴っている。なにより、主人公が出会うアメリカのロックシンガー、ブルース・スプリングスティーンの懐かしい楽曲の数々が映像に挿入され、そのシンプルながら力強い歌声、リアルな歌詞がグイグイと見る者に迫ってくる。1987年の時点ですら、若者に古臭いとそっぽを向かれていた彼の楽曲が、パキスタン人少年の無垢な心にいかに沁み入ったか、チャーダは説得力をもって描き切る。

出演者はイギリスのテレビで活動しているヴィヴェイク・カルラを主役に据え、『ベッカムに恋して』のクルヴィンダー・ギール、舞台で主に活動するミーラ・ガナトラ、『1917 命をかけた伝令』のディーン=チャールズ・チャップマン、『グッドライアー 偽りのゲーム』のネル・ウィリアムズなど、地味ながら充実した顔ぶれを揃えている。さらに司会者として知られ『イタリアは呼んでいる』では主演を務めたロブ・ブライドン、『プーと大人になった僕』のヘイリー・アトウェル、『輝ける人生』のデヴィッド・ヘイマンも加わって、ドラマに厚みを持たせている。

 

ロンドン近郊のルートンで暮らすパキスタン系少年ジャベドは、パキスタンの伝統を頑なに守る父親が大の苦手。家長として父は厳格にルールを押し付けていた。母親も、姉も妹も従うのみ。子供は親を豊かにするために努力しなければならないと繰り返されていた。

容姿はパキスタン系であっても、イギリスで育ったジャベドが望むのは普通の高校生らしい日常。パキスタン系であることで虐められないように、ひたすら目立たないように努めていた。新たに入った高校で好もしいクラスメートもできるなか、いちばん友達になりたくなかったシーク系のクラスメートから、1本のカセットテープを渡される。

そのテープにはブルース・スプリングスティーンの曲が収められていた。その激しい歌声にジャベドはたちまち魅了されてしまう。労働者階級の心の裡を歌詞にぶつけ、聞く者を煽る楽曲の数々。彼の歌詞はそのまま父のルールに縛られている自分を表していたし、不当にパキスタン系を差別する社会に対する怒りを的確に表現していた。

一方で父親は働いていた自動車工場をクビになり、仕事探しに疲れ果て、いっそう家族に厳しく当たるようになっていた。ジャベドは自らの思いを文章や詩に託して、自分らしく生きようと決心するが、父親が彼の前に立ち塞がった――。

 

音楽との運命的な出会いによって、その後の生き方ががらりと変わる。こういう例は1960年代頃には現実に無数にあった。革新的なサウンドを送り出したアーティストたちに刺激を受けて、自らアーティストに成ったり、音楽業界に進んだりした例は数の限りがない。ジャベドも書くことを武器に父や社会に立ち向かう。その姿は健気で素直、思わず胸が熱くなるほど好もしい。こういう成長する青春ストーリーは永遠不滅である。

しかしその一方で、描かれた時代、1987年が現在と全く変わっていないことに気づかされる。いや、貧富の格差はさらに深刻になり、ナショナリズムが湧き上がって、移民や難民への排斥運動は激しさを増している。事態はもっと深刻になっているのだ。

こうした空気のなかで、あえてパキスタン系の家族のドラマをつくり、万人の共感できる父と子の確執を紡いだグリンダ・チャーダの姿勢を高く評価したくなる。聞けば、彼女自身もブルース・スプリングティーンのファンだったとか。彼の歌詞、メロディを存分に活かしながらのストーリーテリングはまことにみごとだ。こうした家族との確執を軸にしたドラマはイギリス映画の独壇場。とりわけ音楽を挿入するとなると鬼に金棒である。

それにしても今さらながらにブルース・スプリングスティーンの楽曲の力に圧倒される。「ダンシン・イン・ザ・ダーク(Dancing In The Dark)」や「プロミスト・ランド(The Promised Land)」、「 裏通り(Backstreets)」「 ザ・リバー(The River)」「涙のサンダー・ロード(Thunder Road)」などなど、挿入される楽曲には確かにひとりの高校生の生き方を変えるだけの力が感じられる。また音楽は『スラムドッグ$ミリオネア』のA・R・ラフマーンが担当している。本作のキャスティングはスタッフも完璧である。

 

主演のヴィヴェイク・カルラの初々しさに好感を覚えつつも、父に扮したクルヴィンダー・ギールは苦労して移民した世代の悲しさ、ミーラ・ガナトラの夫に従う美徳で生きる母親像にある種の共感を禁じ得ない。不公平な社会のなかで懸命に生きる庶民の姿はまさに私たちと変わりがないからだ。出演者の巧みな演技によって、それぞれが普遍的なキャラクターとして浮かび上がってくる。

 

作品を見ると、ブルース・スプリングスティーンの楽曲にまた触れたくなる。カセットテープ再興の機運もあるとか。となればこの題名が正解なのだろう。