『象は静かに座っている』はベルリン国際映画祭を熱狂させた、中國新世代の星のデビュー作にして遺作。

『象は静かに座っている』
11月2日(土)より、シアター・イメージフォーラム他にて順次公開
配給:ビターズ・エンド
© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/elephant/

 

第68回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に出品され、第1回最優秀新人監督賞と国際批評家連盟賞を獲得した中国作品の登場だ。

本作が長編映画デビュー作となった監督のフー・ボー(胡波)は、作品を完成させた後、29歳の若さで自ら生命を絶ってしまった。デビュー作にして遺作という残念なかたちになってしまったが、作品の輝きはいささかも曇ることはない。フー・ボーは、まず小説家として「大裂」と「牛蛙」を発表。「大裂」のなかに収められた13 頁からなる短編をもとに、本作を構築した。

作品を語るとき、もっとも口の端に上るのは上映時間かもしれない。全編234分。この長さに恐れを抱く人がいるかもしれないが、実際に体験してみると、いささかも長く感じないし、間延びすることはない。ほぼ4時間近い映像のなかで、フー・ボーは現代中国の田舎町の、閉塞感にあえぐ人々の軌跡を繊細に紡いでいく。

 

舞台となるのは河北省石家荘市井脛県。かつては炭鉱業で栄えた町だが、現在は廃れて閉塞感に覆われている。映画はここに住む4人の男女に焦点を当てる。

街で幅を利かすチンピラのチェンは親友の死に接して衝撃を受ける。

少年のブーは友達をかばって諍いになり、チェンの弟を階段から突き落としてしまう。チェンの復讐を恐れてブーは街を彷徨い、好意を抱いているリン、さらに近くの住人ジンを巻き込んでいく。

リンは飲んだくれの母に隠れて高校の教師と秘かに関係を結んでいる。ジンは娘夫婦から老人ホーム行きを勧められている。

それぞれが日常にやりきれなさを感じながら、2300キロ先の満州里の動物園にいる、一日中座っている象をみたいという気持ちに囚われる――。

 

ジャ・ジャンクーの作品と同じように、中国の華やかな経済発展から取り残された地方の疲弊した町が舞台となる。何の変化もない日常に抗う4人が、突然の事件に直面したことで、孤独で展望のない日々に決別しようと動き出す。不寛容で利己主義に満ちた社会に翻弄されながら、人はここではないどこかを追い求める。映画はどん底であっても希望を持つことが肝要だと訴えかける。中国の田舎町を題材にした作品がここまで世界中にアピールした理由は、フー・ボーの生み出した世界、キャラクターが普遍性をもって迫ってくるからに他ならない。

ブーは友情が招いた事件に翻弄され、逃げ回りながらも、座っている象を見たいという気持ちが唯一の希望の先になる。

目の前で親友が死んだ衝撃から自己嫌悪に陥っているチェンはすべてが空しくブーの捜索にも力が入らない。

リンは高校教師との関係が知られ、母親に罵倒され、自分の気持ちの行きつく先がない。高校教師との関係は優しくされる時間が欲しかっただけなのに。

ジンは老人ホームでは犬が飼えないので断っていたが、その犬も死んでしまったときに生き甲斐を失ってしまった。

映画はそれぞれのキャラクターの1日を見すえる。4人は事件が起きたことでどのような反応をしたか、どのような行動を採ったか。カメラは自然光の長回しでじっくりと捉える。見る者は登場人物それぞれの思い、息遣いに触れ、フー・ボーの生み出した世界にどっぷりと浸ることになる。4人の思いは切なく、哀しい。日本という自由主義の国に住んでいても共感を禁じ得ない。そう、体制のいかんにかかわらず、世界は不寛容で、排他主義に満ちている。私たちは先の見えない閉塞感に覆われている。希望の見えない日常を送っているからこそ、4人の姿に心打たれるのだ。

カメラアングルの凝り方をはじめ、細部にまで神経に行き届いた映像に惹きこまれ、4時間近い長さは少しも気にならない。いや、本作にはこの長さが必要だ、この長さがあればこそ、それぞれのキャラクターがくっきりと立ち上がる。

それぞれの思い、行動が過不足なく伝わってくる。語られるストーリーはぐいぐいと見る者を惹きこむ。まさに4人の人生の転換点に立ちあっているような気分になる。フー・ボーの演出力に脱帽するばかりだ。これだけの作品を残しながら、自らの生命を絶つなんて悲しすぎる。本作のような傑作をみせられると、次にどんな世界をみせてくれるだろうと楽しみになることは必定。その死はあまりにも勿体ない。

 

出演者はいずれも街に溶け込んでいる印象だ。チェン役のチャン・ユー、ブー役のポン・ユーチャンはともに中国では認知度の高い存在というが、フー・ボーの指導のもと、リアルな存在感をみせている。リン役に抜擢されたワン・ユーウェンも本作で認知度を高めることとなった。なおジン役のリー・ツォンシーはチアン・ウェンの『太陽の少年』や『鬼が来た!』などのプロデューサーとして知られるが、演技も素晴らしいことをここに証明している。

 

まぎれもなく感動をもたらしてくれる4時間近い映画体験。鑑賞前にトイレに行っておくことをお勧めするが、掛け値なしに極上の体験をお約束できる。天才フー・ボーの生み出した世界を堪能されたい。