『町田くんの世界』は閉塞感漂う現代に向けた、石井裕也監督の心のこもったファンタジー・コメディ。

『町田くんの世界』
6月7日(金)より、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©安藤ゆき/集英社©2019 映画「町田くんの世界」製作委員会
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/machidakun-movie/

 2013年の『舟を編む』が高い評価を受けて以来、翌年の『ぼくたちの家族』に『バンクーバーの朝日』、そして2017年の『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』と、石井裕也は着実に日本映画を牽引する匠の道を歩んでいる。
 自らの脚本でも他人の脚本であっても、ぶれることのない語り口がいい。登場する人間の肌のぬくもりを感じさせ、繊細にドラマを構築していく。ただ、少しばかり立派になりすぎた印象がある。商業映画デビュー作の『川の底からこんにちは』や『あぜ道のダンディ』、『ハラがコレなんで』などで描き出した、石井裕也ならではの、ほっこりとしたヒューマンでユーモラスなコメディ世界を懐かしく感じたりしていた。
 本作は絶妙のタイミングで登場したといえる。石井裕也の最新作は、ファンタジックで愛しさに満ちたコメディ。人を好きでたまらない町田くんを主人公に、彼が意識しないうちに世の中を優しさと愛で包む姿を、ユーモアを散りばめつつ、気恥ずかしいぐらい素直に描き出す。原点回帰とまではいわないが、全編、ぎすぎすした気持ちがすっと癒されるような優しさに溢れているのだ。
 原作は手塚治虫文化賞新生賞に輝いた安藤ゆきの同名コミックだが、石井監督の企画ではない。プロデューサーの北島直明が“石井監督の料理した少女コミックの映画化が見たかった”という理由で依頼。石井監督は、人を好きになる気持ちや愛を臆面もなく語れる少女コミック原作の可能性に惹かれて引き受けたという。
 なによりも本作では石井監督は驚くべき挑戦を仕掛ける。主演のふたりに新人を抜擢し、撮影はデジタルではなく35ミリフィルムを使用。さらに通常では考えられないようなラストの趣向を用意している。
 脚色は『夏美のホタル』の片岡翔と石井監督の合作。片岡が書いた脚本を石井監督が崩し、それを片岡がまとめるという作業が繰り返されたという。
 出演は新人の細田佳央太と関水渚。ふたりを囲んで、岩田剛典、高畑充希、前田敦子、大賀、池松壮亮、戸田恵梨香、北村有起哉、松嶋菜々子、佐藤浩市といったビッグネームが一堂に介する。なかでも岩田、高畑、前田、大賀の4人は高校生役にチャレンジするのだから可笑しい。これは石井監督とプロデューサーによる確信犯的仕業ではないか。

 勉強はできないし、運動神経も劣る町田くんだが、困っている人の存在に素早く気づき、手助けをする。老人に席を譲ることは当たり前。人が好きで好きでたまらない性格。
 そうした町田くんを周囲は温かく見守る。周囲も彼に感化されてしまうのだ。悪意と閉塞感に満ちた時代にあって、町田くんは無意識に孤軍奮闘していた。
 ある日、怪我をした町田くんが保健室に行くと、同級生の猪原さんがいた。養護教諭に代わって手当てをしてくれた猪原さんは「人が嫌い」だという。町田くんは猪原さんに対して今まで覚えたことのない感情を抱く。
 さらに、誰かに優しく接することが他の誰かを傷つけることもあると知り、町田くんは混乱する。猪原さんに対する気持ちも含め、町田くんは分からないことの先にある世界に向かっていく――。

 それにしても町田くんというキャラクターが群を抜いて素晴らしい。人好きで人たらしで、優しさと善意で人に接する。いかに相手がいじけていても、正攻法。素直に好きという感情を表しながら相手に対する。そんな奴はいないと片づけるのは簡単だが、これほど殺伐とした閉塞した社会だからこそ、町田くんの存在が輝いて見える。町田くんのような素直でシンプルな気持ちで他人に接したいとつくづく思う。こうしたキャラクターの作品を敢えて生み出したことに拍手を送りたくなるのだ。
 さらに町田くんの物語のクライマックスにはおよそ考えられない趣向が待ち受けている。そんなアホなと思うか、すんなり受け入れるか。見る者の感性に委ねられている。東日本大震災以降、起こるはずのないことが起きている。それまでの常識が突然にまったく通用しなくなる時代だ。そうであるならば、逆に予想もしなかった素敵なことも起こりえると石井監督は考えた。このクライマックスはそうした思いの象徴だ。
 石井監督は町田くんの軌跡を通して、恋の在り様を浮かび上がらせていく。博愛主義、誰にでも優しく接していた町田くんは、恋という感情を知ったことで少しずつ変わる。イノセントの喪失といえばいいか。人間として成長することは何かを失うことでもある。石井監督は軽妙な語り口のなかに人生の真実を語っている。

 町田くん役の細田佳央太、猪原さん役の関水渚とも、精いっぱいの頑張りをみせている。ぎこちないところはかえって愛嬌。石井監督も素人っぽさを買っての起用だろうし、細田は未だかつてない純朴キャラクターを懸命に具現化している。彼らを救う岩田剛典、高畑充希、前田敦子、大賀の4人に拍手。次第に高校生に見えてくるから不思議だ。

 主題歌は平井堅。これほど真正面から描いた人間讃歌も珍しい。ユーモアのなかに際立つ町田くんのキャラクター。見終わったときに爽やかな気分になる作品だ。