『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は優しさに満ちた心に沁みる人間ドラマ。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
5月13日(土)より、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー
配給:ビターズ・エンド/パルコ
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公式サイト:manchesterbythesea.jp

 

 第89回アカデミー賞に作品賞、監督賞を含む6部門にノミネートされ、ケイシー・アフレックが主演男優賞、ケネス・ロナーガンが脚本賞に輝いた作品の登場だ。『ムーンライト』や『ラ・ラ・ランド』とともに、作品賞や監督賞を競ったが、残念ながら『ラ・ラ・ランド』が監督賞、『ムーンライト』が作品賞に選ばれた。

 この結果は、作品それぞれのクオリティの問題というより、2017年のアメリカ社会の空気を反映させたものといえる。

 ドナルド・トランプが大統領になったこと、昨年のアカデミー・ノミネーションに有色人種がいなかったことで“白いアカデミー”と揶揄されたことが大きく影響している。第89回アカデミーは、打って変わってアフリカ系の監督作、アフリカ系俳優のノミネーションが幅を利かせ、受賞結果にも反映された。アカデミー協会としてはトランプの白人回帰、移民排斥と一線を画し、人種的偏見がないことを大々的にアピールしたかったと思われる。

 そうした点を考えても、本作は割を食った感が否めない。主人公は白人だし、舞台となる海岸町マンチェスター・バイ・ザ・シーは5136人の人口のうち97.6%が白人という地域だ。いかに作品が素晴らしい仕上がりでも、白人だけが織りなすドラマは、今年は不利だった。主演男優賞と脚本賞の受賞は、アカデミー会員が本作を無視できなかった証である。

 

 そもそも本作が誕生したきっかけは、マット・デイモンが監督デビューするために作品のアイデアを練ったことにあった。

 ある出来事から人生が崩壊してしまう男のストーリーにしようと考えたデイモンは、脚本をケネス・ロナーガンに依頼する。ふたりはロナーガンの戯曲「This Is Our Youth」で出会い、デイモンは脚本家としての彼の才能を高く評価していた(ちなみにケイシー・アフレックもこの戯曲に出演している)。

 ロナーガンは2年をかけて仕上げた。当初、デイモンは監督・主演を兼ねるつもりでいたが、スケジュールの関係で作品を降りることになった。脚本のすばらしさを知る、デイモンはプロデューサーとして作品を支えることとなり、監督にはロナーガン、主演にケイシー・アフレックがそれぞれ引き継いだ。

 ロナーガンは寡作ではあるが、監督デビュー作『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』、『マーガレット』と、いずれも演出力は高く評価されている(残念ながら、日本ではどちらも劇場未公開、DVDで鑑賞できる)。いずれも脚本を兼ねていて、人間というものの短所を繊細に浮かび上がらせつつ、たとえ悲惨な状況を描いてもユーモアが漂う作風の持ち主だ。本作はロナーガンの集大成的な仕上がりとなっている。

 主演のケイシー・アフレックはベン・アフレックの弟であり、マット・デイモンとも旧知の仲。アフレックの演技力は、アカデミー助演男優賞にノミネートされた『ジェシー・ジェームズの暗殺』などで折り紙付きながら、本作ではさらに奥行きのある表現力で心に傷を抱いたキャラクターを演じ切っている。まこと受賞も納得できるところだ。共演は『ブルーバレンタイン』のミシェル・フィリップスに『SUPER 8/スーパーエイト』のカイル・チャンドラー。さらに『ベティ・ペイジ』のグレッチェン・モル、『グランド・ブタペスト・ホテル』のルーカス・ヘッジズが脇を固めている。惜しくも受賞を逃したが、フィリップスはアカデミー助演女優賞、ヘッジスは助演男優賞にノミネートされている。

 

 ボストンの郊外で孤独に生きているリーのもとに、兄ジョーの危篤の知らせが届く。リーはあわてて北の港町マンチェスター・バイ・ザ・シーに戻るが、兄は既に亡くなっていた。ジョーとの間には数えきれないほどの思い出があった。リーは過去を捨て去ってボストンで暮らしていたのだが、なんとジョーは遺言書で彼を息子パトリックの後見人に指名していた。

 仕方なく、リーはボストンに越してくるように提案するが、パトリックは友達も恋人もいるこの町を離れないと拒否する。しばらくの間、マンチェスター・バイ・ザ・シーに滞在し、パトリックと生活をともにするようになったリーだったが、否応もなく過去の出来事と向き合うことになる。あまりにも辛い過去がリーの心の裡に蘇ってくる――。

 

 マンチェスター・バイ・ザ・シーはボストン周辺の裕福な人々の避暑地として成立していて、住民の多くは休暇で訪れる人々にサービスを提供することを仕事にしている。近くにあるグロスターという漁港をふくめ、住民はブルーカラーの人が多いのだという。それぞれが親族間の絆も深く、仲間に対する気持ちも強い。いってみれば濃い人間関係が成立している場所と、ロナーガンはとらえた。

 なぜ主人公はその場所から離れることになったのか。なぜ世捨て人のように自らの日々を顧みずに自暴自棄に生きているのか。その謎がストーリーの進行とともに次第に明らかになっていく。人間はときにミスもすれば、馬鹿な行為もしでかす。それが取り返しのつかない結果をもたらしたのなら、その結果を背負って生きていかねばならない。ロナーガンはその事実を繊細かつ誠実に紡いでいる。

 決して賢くはないが誠実な男リーは、かつてはジョーやパトリックと楽しく日々を送っていた。酒好きで皆からも愛されていたこの男は不注意がもとで地獄に叩き落されてしまう。ジョーはリーのその状況を何とかしたくて、遺言でパトリックの後見人に指名したのだ。

 こういう設定であれば、心に傷を負った男の再生の物語と思われるかもしれないが、ロナーガンは安易な解決や見え透いた感動を与えはしない。時にユーモアを交えた誠実な演出で主人公に寄り添い、その軌跡を優しく見守っていく。取返しのつかない罪を背負い、立ち直れなくとも、生きている限り人生は続くと静かに語りかける。ロナーガンの抑制のある語り口は見る者の心に沁み入ってくる。

 

 出演者はいずれも素晴らしいパフォーマンスを披露している。なかでもリーに扮したケイシー・アフレックは出色だ。生きる喜びを失ったキャラクターの心情を淡々と表現し、深い感動を呼ぶ。派手な兄に隠れてきたが、演技力でははるかにしのいでいることが本作で証明されている。

 共演陣も、タフで無神経な妻をみごとに具現化したミシェル・ウィリアムズ、ジョー役のカイル・チャンドラー、パトリック役のルーカス・ヘッジズが、素敵な存在感でアフレックを盛り立てている。

 

 本作は深い傷を負った人、心の痛みを抱えた人に寄り添ってくれる。人生に対する希望を実感させてくれる、これぞ必見の作品だ。