『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』は型破りキャラクターが大暴れする、待望の続編!

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』
5月12日(金)より、TOHOシネマズスカラ座ほか全国ロードショー
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
©Marvel Studios 2017
公式サイト:http://marvel.disney.co.jp/movie/gog-remix.html

 

 2014年に公開されるや、個性豊かな容姿のヒーローたちがチームを組んで暴れまくる展開に世界中が狂喜乱舞。一躍、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はその名を轟かせた。お調子者のリーダー、ピーター・クイルを筆頭に、毒舌アライグマのロケット、セクシーなガモーラ、マッチョな肉体を誇るドラックス、“樹木型ヒューマノイド”グルートという、個性的というしかないメンバーが繰り広げる痛快爆笑アクションはまさに全世界を制覇した。

 その余勢を駆って登場したのが本作である。ピーター・クイルをはじめ愛すべきメンバーが勢揃いして(グルードは前作の最後で仲間を助けるために犠牲となり、身長25センチのベビー・グルートに変貌)、ノリに任せた大暴れを繰り広げてみせる第2弾。前作よりもスケールもギャグもアクションも全てパワーアップしている。

 前作と同様に随所に音楽のギャグを散りばめて、どこまでも痛快。泣かせ所もあり、スペクタクル満点。アクション・エンターテインメントのツボを爆笑のギャグに転じて、見る者をとことん満足させてくれる。本作ではピーター・クイルの出生の経緯が明らかになると同時に、アメリカ映画の伝統である“父と子の確執”がテーマとなる。子は父親を乗り越えて(あるいは倒して)前に進むものだという命題が痛快なストーリー展開とともに浮かび上がってくる仕掛けだ。

 監督はSFホラー・コメディ『スリザー』でデビューを飾り、前作でたちまち注目の存在となったジェームズ・ガン。本作ではさまざまなアイデアを盛り込みつつ、ひとりで脚本に仕上げている。

『ジュラシック・ワールド』や『マグニフィセント・セブン』、『パッセンジャー』など、出演作が目白押しのクリス・プラットがピーター・クイルに扮するのをはじめ、ガモーラには『コロンビアーナ』のゾーイ・サルタナ。ドラックスには元WWEチャンピオン、プロレスラー出身のデイヴ・バウティスタ。さらに声の出演で『世界にひとつのプレイブック』でアカデミー主演男優賞にノミネートされたブラッドリー・クーパーがロケットを熱演すれば、『ワイルド・スピード』シリーズのいかついヴィン・ディーゼルがキュートなベビー・グルート役とくるから応えられない。

 このガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・メンバーに加え、『ブラウンズ・レクイエム』のマイケル・ルーカー、おなじみシルヴェスター・スタローン、そして『ヘイトフル・エイト』や『バーニング・オーシャン』、『ワイルド・スピード ICE BREAK』など、再び大車輪の活動をみせるカート・ラッセルなど、百戦錬磨の俳優たちが集結している。

 

 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのメンバーは、黄金の惑星の指導者アイーシャの依頼で強力な敵を倒すが、アライグマのロケットの軽率な行動によって、かえってアイーシャの怒りを買い、宇宙船ミラノ号は総攻撃を受けてしまう。

 この危機を救ったのは謎の男、エゴ。彼の星に逃れたピーターたちは、エゴから意外なことばを聞く。彼がピーターの父親だというのだ。神のような力を持つエゴにピーターは傾倒していくが、他のメンバーたちはエゴに胡散臭さを感じて、メンバー間に亀裂が生まれていく。

 エゴは銀河全体を統率するにはピーターの力が必要だと力説する。そこにピーターの育ての親ヨンドゥが襲撃を仕掛けた。

 エゴの計画の真の目的、ピーターの出生に隠された真相は何か。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーは絆を取り戻し、銀河の危機に立ち向かうことができるのか――。

 

 第1作では母子の絆。主人公のピーターが母の残した往年の名曲をウォークマンで聞くという設定で感涙させたが、今度は父と子の確執ときた。まだ見ぬ父に思いを巡らしていたピーターは、ある意味で理想的な父親像に出会う。なにせ父と名乗るエゴは理想の惑星に住み、ダンディでカリスマ性をもつ存在なのだ。主人公が惹かれるのも当然なわけだが、やがて育ての父ヨンドゥが登場するに至り、彼は父親というものを真剣に考えるようになる。前作同様、おちゃらけてみせているが、エンターテインメントとしての骨格はアメリカ映画の伝統をきっちりと引き継いでいる。

 冒頭にメンバー全員vs怪獣の一大バトルアクションでつかみをとるや、ガンの演出はノリにノッて、スピーディに疾走する。毒舌ロケットの軽口の嵐に比して、ベビー・グルートは「ボクはグルート」の一語であらゆる感情を表現するなど、細かいギャグがそこかしこに散りばめられて見る者を飽きさせない。あえてB級風の能天気さを装いつつ、締めるところは締める。その緩急とクライマックスまでの盛り上げは本作でも健在だ。

 今回も、嬉しくなるような名曲が綺羅星のごとく網羅されている。父と子の思い出の曲としてルッキング・グラスの「ブランディー」が流れれば、ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」やら、サム・クックの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」が織り込まれる。さらにフリートウッド・マックの「ザ・チェイン」、グレン・キャンベルの「サザン・ナイツ」などなど、ヴァラエティに富んだ曲の数々が絶妙のタイミングで流れる趣向だ。こうした往年の名曲のギャグ、オチは中高年がより楽しめるはず。まこと若者向きのみならず、全方位で“受ける”ことを念頭に置いているあたりがしたたかだ。

 レギュラーの俳優陣も軽快だ。気のいい兄ちゃん風のクリス・プラットがイノセントなヒーローをさらりと演じれば、エゴ役にはカート・ラッセルがいかにも理想的なヒーローの父親像を妖しく演じる。ブラッドリー・クーパーの声が活きるロッキーのマシンガン・トーク、寡黙なヴィン・ディーゼルのベビー・グルートもおかしい。ブルーの容姿のヨンドゥ役がこわもてマイケル・ルーカーというのも笑えるが、本作では見せ場が用意され、泣ける演技も披露してくれる。

 

 理屈抜き、ばかばかしいほどエンターテインメントに徹した快作。痛快、明快、爆笑、そしてペーソスも用意されている。おとながより楽しめる作品だ。