『永い言い訳』は人が人を愛すること問いかける、西川美和監督の感動的なラヴストーリー。

『永い言い訳』
10月14日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
配給:アスミック・エース
©2016「永い言い訳」製作委員会
公式サイト:http://nagai-iiwake.com/

 

 2002年に『蛇イチゴ』で長編映画監督デビューを飾った西川美和監督は、2006年の第2作『ゆれる』がカンヌ国際映画祭監督週間に正式出品されるなど、高い評価を受けたことで、一躍、日本映画の注目の存在となった。もっとも西川監督は自らのペースを守り、2009年に『ディア・ドクター』、2012年に『夢売るふたり』と、ほぼ3年に1本の間隔で作品を発表。その都度、大きな話題をまいてきた。

 なによりも西川監督は文才を高く評価されている。自作『ゆれる』をノベライズした同名小説は2007年第20回三島賞の候補になり、2008年にコラムをまとめたエッセー、2009年には小説集「きのうの神さま」を発表。「きのうの神さま」は第141回直木賞の候補になったのは記憶に新しい。

『夢売るふたり』に続く本作は、3年に1本の映画製作のペースを守ってきた監督があえて1年遅らせて発表した。2011年に起きた東日本大震災に衝撃を受け、着想を得た西川監督は”映画のための物語づくり“という制約を離れて、まず小説として『永い言い訳』を発表。そこから脚本に展開する手法をとったのだ。

 2015年に発表された小説は第28回山本周五郎賞候補となり、第153回直木賞候補となった。自らの作品とはいいながら、小説を映画の脚本にするのは容易ではなかったとコメントしているが、その仕上がりはみる者の心をしたたか抉りながら、最後には優しさで包み込む仕上がり。監督自らが”人生の集大成“というだけあって、主人公のキャラクターに対して深く入れ込んでいることが伺える。

 出演は『おくりびと』の本木雅弘。最近では『日本のいちばん長い日』の昭和天皇を演じ、サスペンス・アクション『天空の蜂』などがあるが、本作でひさかたぶりに人間味のあるキャラクターに挑戦している。コンプレックスの強いナルシスト、人間的なもろさと醜さを持ちつつ、一方で素直さも内包している役柄をみごとに表現している。

 監督は映画を志した頃から本木との仕事を願っていたという。この主人公は最も監督自身に近いキャラクターとあって、あえて依頼したのだろう。

 共演は、ミュージシャンで『海炭市叙景』の演技も評価された竹原ピストル、『THE有頂天ホテル』の堀内敬子、『ぼくたちの家族』の池松壮亮、『リップヴァンウィンクルの花嫁』の黒木華、そして『悪人』の深津絵里まで、実力派が結集している。

 監督は“実人生にも近いモチーフを、反省も後悔も喜びも束ねて描く”ことを目指したという。これまでの作品のなかで、キャラクターがくっきりと際立ち、辛辣でありながらも愛おしい仕上がりとなっている。

 

 人気作家・衣笠幸夫は美容室を経営する妻・夏子に髪を整えてもらうのを常としている。夏子が親友のゆきとスキー旅行に行くその日も、出発前に整髪してもらう。くどくどと愚痴と嫌味を並べる幸夫に対し、軽く受け流す夏子。結婚生活20年を超えて、関係は冷え切っていた。

 夏子が出発した後、幸夫は担当編集者の福永を迎え入れ、情事にふける。

 翌朝、幸夫は山形県警から電話をもらい、夏子とゆきがバス事故で死亡したことを告げられる。

 葬儀を迎え、喪主となっても、幸夫は悲しみと向き合えない。対照的にゆきの夫・大宮陽一は悲嘆にくれ、悲しみに浸っていた。

 最初は陽一を避けていた幸夫だったが、思いついて陽一と長男の真平、妹の灯を食事に誘い、話の成り行きで、幸夫が週に2回、灯と大宮家で留守番をすることになる。

 子供の世話に明け暮れるうちに、子供たちに懐かれ、幸夫は次第に“誰かのために生きている”実感を抱くようになる。このつきあいから、幸夫の何かは変わるが、彼自身をみつめ、悲しみに向き合うまではまだまだ時間を要することになる――。

 

 好きあって結婚したはずなのに、いつしか情熱は冷め、ともに暮らしている時間がふたりの仲を繋げとめる縁となる。互いに理解しあおうとする努力は影を潜め、互いの欠点を耐える日々。すべての夫婦関係がこうだとは思わないが、厳しい現実との対応があるなかで、バラ色の結婚生活で押し通すのは難しい。そもそも人が他人を理解することなど、たとえ夫婦であってもできるのか。人間にはいくつもの貌があり、人は見たい貌しか見ない。

 ここに登場する幸夫は不遇の時代に、夏子に依存していた時期があり、そのコンプレックスから脱することができない。自意識が強いだけに、いっそう夏子に当たることになり、夏子の方も聞き流すのみ。そうした関係のなかで、夏子は突然、この世からいなくなってしまった。幸夫は彼女の死亡時にほかの女と寝ていたという後ろめたさのなかで、悲しみに向き合えず、なによりも妻のことを何も知らなかった事実に衝撃を受ける。

 西川監督は東日本大震災で多くの人が犠牲になったことに思いを馳せ、なかには後味の悪い別れもあったのではないかと考えたことから、この物語を発想したという。

 たとえ余命を伝えられていたとしても、後悔の残らない別れはない。まして突然にこの世を去られたとき、残された者の衝撃と悔いははかり知れない。西川監督は、エゴイスティックで卑小な面があり、それでも素直で愛すべき面を持った幸夫の軌跡を通して、人が悲しみと向き合い、乗り越えていく過程を浮かび上がらせる。ずば抜けた語り口に鋭さを秘めた心理描写で貫きつつも、これまでの作品よりも、優しさと希望にみちた感動がある。彼女の人間に対する眼差しが年齢を重ねてさらに洞察力に富んできたと表現するべきか。まぎれもなく、西川監督にしかつくれない、オリジナリティに溢れた映像世界がここにある。全編16mmカメラで撮影し、幸夫の過ごした四季を豊かに紡ぎだす。撮影、編集の期間をゆったりととれたというが、画面から温もりが伝わってくると表現したくなる。

 

 俳優陣では、これまでにないキャラクターを演じ切った本木雅弘が素敵だ。これほど長所欠点を併せ持った役柄をさらりと自然体、存在感をもって演じている。9カ月という長い期間、幸夫を演じ続けていくなかで、本木本人が年輪を重ねると同時に役柄が熟成するのを感じたと語っている。俳優として真正面から役に向き合っている証だろう。

 共演陣では、竹原ピストルの剛直な演じっぷりが際立ち、なによりも出演シーンは少ないが、深津絵里の存在感が作品の陰影を深めている。冒頭の整髪シーンの完璧さはまこと脱帽ものである。

 

 人間は他者との関係のなかに自分を見出していくことが画面を通して沁み入ってくる。家族、夫婦の在り様を考えるのに最適の作品である。