2002年に製作された『ボーン・アイデンティティー』はマット・デイモンをアクションスターとして認識せしめた快作だった。ロバート・ラドラム原作の同名小説(邦題は「暗殺者」)をもとに、記憶を失った人間凶器が自らのアイデンティティを求めてヨーロッパを巡る。デイモンの鍛え上げたフィジカルを活かしつつ彼を襲う暗殺者たちとの攻防をスリリングに紡ぎ、アクション・ファンを感涙させたのだ。
『黙秘』や『プルーフ・オブ・ライフ』で知られるトニー・ギルロイの脚本(ウィリアム・ブレイク・ヘロンと共作)を得て、当時『スウィンガーズ』で注目された監督ダグ・リーマンがきびきびした演出を披露。作品は世界的にヒットし、シリーズ化される運びとなった。
シリーズにとって幸いだったのは、第2作の『ボーン・スプレマシー』の監督にポール・グリーングラスが起用されたことだった。問題意識に溢れたドキュメンタリーやテレビ映画などで頭角を現し、イギリスでは既に注目の存在だったグリーングラスは2002年に発表した『ブラディ・サンデー』がベルリン国際映画祭金熊賞を受賞して世界的な脚光を浴び、『ボーン・スプレマシー』に抜擢されることとなったのだ。
『アルジェの戦い』や『戦艦ポチョムキン』に感動し、『七人の侍』や『Z』などもベスト10に挙げている彼は、ドキュメンタリーで培った現実を切り取る力、臨場感に満ちた映像感性を駆使して、フィジカルなアクションを志向。CGやVFXに頼ることなく、実際の街角でリアルな殺陣、スタントにこだわって、迫力ある映像を生み出した。
グリーングラスの演出は評価され、とりわけデイモンが気に入って、第3作『ボーン・アルティメイタム』にも起用されることになる。この間に、グリーングラスはノンフィクション・サスペンス『ユナイテッド93』(2006年)を発表、アカデミー監督賞にノミネートされて、その存在を確固たるものにした。
世界各地の街角で繰り広げられる迫力満点のアクション『ボーン・アルティメイタム』はグリーングラスの演出が際立つ仕上がりとなった。『生きてこそ』などの監督としても知られるフランク・マーシャルが率いる製作陣は、原作が3部作ではあったがシリーズの継続を模索。ところがデイモンはグリーングラスが参加しなければ出演しないと明言。2010年には『グリーンゾーン』に主演するなど、グリーングラスに対する傾倒の度合いを高めていった。
とりあえず製作陣は、シリーズ3部作の続編的な扱いの『ボーン・レガシー』をジェレミー・レナー主演、シリーズの脚本を手がけたギルロイを監督に据えて発表する。作品の仕上がりは決して悪くなかったが地味な印象は拭えず、かえってデイモン待望の声は高まるばかりとなる。
かくして『ボーン・アルティメイタム』から9年の歳月を経て、待望のデイモン、グリーングラスの顔合わせになる本作の登場となる。ラドラムはキャラクター創造のクレジットに留めて、グリーングラス作品の編集を担当してきたクリストファー・ラウズがグリーングラスとともに脚本に挑み、ボーンの新たな戦いを構築した(もちろん、ラウズは編集も担当)。あくまで現実社会と関連したストーリーを志向するふたりは、アメリカで起きた秘密情報機関の機密漏洩に着目。デジタル社会の安全保障という名目で行われている監視とプライバシーの自由の問題もストーリーに織り込んでいる。
「映画をつくることは、自分が世界をどのように見ているかということに対して忠実であること」とコメントするグリーングラスは、ボーンの行動を映像に切り取りつつも、現実世界の息吹を画面の端々ににじませる。アクションの醍醐味を満喫できる快作だ。
出演はデイモンに加えて、『逃亡者』や日本ではコーヒーのCFでおなじみのトミー・リー・ジョーンズ、『リリーのすべて』のアリシア・ヴィキャンデル、『ブラック・スワン』のヴァンサン・カッセル。さらに3部作すべてに出演したジュリア・スタイルズと、充実したキャスティングとなっている。
ボーンがニューヨークで大立ち回りを演じ、CIAの監視網から消え去った数年後、ボーンと同じく、CIAから逃れたニッキー・パーソンズはCIAのサーバーをハッキングし、ある最高機密を入手した。そこには、ボーンの関わったトレッドストーン計画に、彼の父親リチャード・ウェッブも絡んでいたことが記されていた。
ニッキーはボーンの潜んでいるギリシャに向かうが、その動きはCIAの関知するところとなり、長官ロバート・デューイはふたりに凄腕の刺客を差し向ける。厳しい監視をかいくぐって落ち合ったふたりだったが、ニッキーは刺客に銃撃されてしまう。
父親がレッドストーン計画に関わっていた事実を知らされて、ボーンの記憶が蘇ってくる。父はボーンと別れた直後に、爆死したのだった。父の死の真相を求めて、再びボーンが活動をはじめた。デューイの執拗な追跡をかわしながら、ボーンはベルリン、ロンドンとまわって真相に近づいていく。デューイのもとで活動している女性エージェント、ヘザー・リーはデューイの意向に反し、ボーンをCIAに引き戻そうと試みる。
それぞれの思惑が交錯するなか、ボーンはラスベガスに向かい、刺客との死闘を演じることになる――。
記憶の回復とアイデンティティの確立というテーマは前の3部作で完結したはずだったが、父との記憶までは取り戻していなかったか。底辺に紛れ、無為に生きていたボーンは、父の死の真相の解明という命題を与えられて、活動を開始するという展開。父子が同じ極秘計画に絡んでいたとなると、敵対するのは、3部作から引き続き立案したCIAということになる。あらゆるネットワークを駆使して監視社会を構築しているCIAに対して、人間凶器ボーンが動物的なカンと人並み外れた能力を駆使して迫っていく。大筋において、全体のトーンは変わらない。この展開を補って余りあるのが随所に織り込まれたアクション、チェースシーンの迫力だ。前半、アテネの金融危機に立ち上がったデモ隊の大群衆のはざまで繰り広げられるチェイスと息詰まる銃撃は圧巻の一語だ。次第に熱狂していくデモ隊の不穏な空気をみごとに映像に反映させている。グリーングラスのドキュメンタリーで培った臨場感満点の映像がリアルさを倍加し、サスペンスをとことん高めているのだ。
さらにベルリン、ロンドンと群衆を活かした攻防が紡がれる。まさに一気呵成、ボーンの活躍がスピーディに語られる。クライマックスではラスベガスでの掟破りの追跡劇が用意されている。そう、多少、展開に新鮮さは欠けるが、生きる目的を失っていたヒーローが再生して暴れまくるだけで十分。文句はない。何としてもエンターテインメントとして十分に満足できる仕上がりなのだから。
出演者ではデイモンが頑張りぬく。3部作の頃よりも老けたのは致し方ないが、その分、ペーソスが加わり、より人間的な味が増した感がある。だから、刺客役のカッセルの非情ぶりと好対照。甲乙つけがたい攻撃力を印象づけながら、クライマックスまでテンションを維持する仕掛けだ。
デューイ役のリー・ジョーンズはさすがの貫禄だし、野心的で知恵が回るヘザー・リー役のヴィキャンデルもいかにも食えない感じがいい。
この作品からさらにシリーズ化されるのか。現実世界を反映させつつ、アクション・エンターテインメントを志向する姿勢は評価したい。注目である。