世界がネットで結ばれグローバル化した昨今、どこの国の文化や習慣、流行でもかんたんに知ることができる。映像や音楽はYouTubeなどでかんたんに世界中に拡散し、いい悪いは別にして、どこの国でも共有できるわけだ。それぞれの国の文化・習慣の多様性を重んじることから、アメリカが目論んだ価値の一元化に向かっているという批判はひとまず置いておこう。何といっても便利だし、時代の大勢には逆らえない。しかも、こういう時代を反映して、思いもかけないキッチュで楽しい作品が生まれることがある。
ハンガリーの売れっ子CMディレクター、ウッイ・メーサーロシュ・カーロイが生み出した本作はその好例だ。これまでに6本の短編を手がけたというカーロイの長編監督デビューとなる作品で、全編、不思議な日本テイストで貫かれているのだ。
日本に興味があって黒澤明、小津安二郎の作品に触れたことがあるというのはヨーロッパの映画監督ならありがちだが、27歳で寿司を初めて食べて、なぜか故郷を思い浮かべたというのだから相当に変わっている。音楽も「Sushi3003」といったJ-POPコレクションを愛聴して、北野武の『HANA-BI』や『やくざの墓場 くちなしの花』などの深作欣二作品、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』が好きだというから、かなりの日本通といっていいだろう。
そんなカーロイが那須国際短編映画祭に出席するために待望の来日を果たし、さまざまな日本文化に触れたが、とりわけ惹きつけられたのは「九尾の狐」の昔話だった。このストーリーをもとに、カーロイは1970年代のハンガリー・ブタペストを舞台にした、寓意に富んだファンタジーを仕上げた。
単にヘンテコな日本テイストの怪作ではないことは、ポルト国際映画祭でグランプリに輝き、ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭審査員賞と観客賞を手中に収めたことが証明している。カーロイが少年時代を過ごした1970年代ハンガリーの共産主義の洗脳社会を再現しつつ、当時、庶民が憧れていた“資本主義的消費生活”を風刺してみせる。ファンタジーなのだから、思いっきり弾けても許されるとばかり、ブラックユーモアと下ネタも随所にちりばめられている。
なによりも魅力的なのは音楽だ。来日したカーロイがタワーレコードで5時間もかけて買い漁った日本の歌謡曲のCD、さらにYouTubeなどを駆使して、日本歌謡をとことん研究。音楽を担当したアンブルシュ・テヴィシュハージとともに、独自の昭和歌謡を創りあげた。それもすべて日本語の歌詞なのだから恐れ入る。なんでもブタペスト在住の日本人と相談しながらつくったのだという。ノリがよくて親しみやすい、本家顔負けのクオリティなのだ。
出演者はモーニカ・バルシャイ、サボルチ・ベデ=ファゼカシュ、ガーボル・レヴィッキなど、いずれもハンガリーで活動している俳優たちだが、日本ではまったく馴染みはない。注目すべきはデヴィッド・サクライである。
日本人の父とデンマーク人の母の間に生まれたデヴィッドは現在36歳。18歳で来日し10年間、バーテンダーをしながら俳優修業したという。2008年にデンマークに戻って俳優として売り出し、2010年にはアメリカの“アクション・オン・フィルム”映画祭で、“注目のアクションスター”賞を獲得したというから、ヘンな日本人を演じる俳優ではないらしい。
1970年代のブタペスト。元日本大使の未亡人マルタのもとで、リザは専任看護士として働いている。楽しみは日本の恋愛小説を読むことと、彼女にしか見えない幽霊の日本人歌手トミー谷の存在。トミーは軽快な歌でリザを元気づけている。
リザが誕生日で留守にしている間に、マルタは急死。マルタの親族からあらぬ疑いを受けて、リザは警察から監視されることになる。
新しい生活をはじめようと、出会いを求めるリザだが、近寄ってくるのは妙な男たちばかりで、しかも恋に落ちる直前に、男たちはみな死んでしまう。リザのまわりの男は死ぬという事実に警察は刑事ゾルタンをリザの家の下宿人として送り込む。
ゾルタンはリザが殺人者とはとても思えず、次第に好意を寄せるようになる。そんなゾルタンにトミー谷は嫉妬の目を向けていた――。
まずもってトミー谷というキャラクターのネーミングに笑いを禁じえない。今どき、トニー谷を記憶している人はどれぐらいいるのだろうか。怪しげな英語を駆使して口八丁にまくしたてる、気障なメガネとちょび髭が鮮烈なコメディアン。もはや殆ど忘れられた存在を、ハンガリー映画で思い起こすなんて考えてもいなかった。
然り、本作の最大のヒットはデヴィッド・サクライが演じるトミー谷にある。メガネをかけて派手なスーツに身を包み、ひたすら昭和歌謡を歌う幽霊がストーリーを牽引する役割を果たすのだ。アクションが得意というサクライは踊りも軽快に登場。華やかなイメージを映像にふりまくうちに邪悪さを次第ににじませるあたり、演じ甲斐もあったろう。本作のパフォーマンスで、まことに鮮烈な印象を残した。
エンターテインメントとして成立させることを念頭に、ギャグとエロチシズムを盛り込み、しかも風刺的な側面もいれこもうとしたカーロイの戦略は、ジャポニズムのテイストを注入することで見る者に新鮮さをもたらした(実際、ハンガリーでは大ヒットを記録したらしい)。ハンガリーのユーモアに新鮮さと戸惑いを覚えながら、カーロイの創りあげた昭和歌謡の楽しさに拍手を送りたくなる。
こういうユニークな映画を正月にみるのも一興。ハンガリーの流行の先端を行く、カーロイが表現した日本テイストを、とくと堪能されたい。