はるか昔、筆者が小学校の中学年だった頃、1本の作品に度肝を抜かれた記憶がある。その作品の名は『十戒』。超大作を手掛けることで知られるセシル・B・デミルが、1923年の自作『十誡』を当時最新の特撮技術でリメイクしたもので、チャールトン・ヘストンにユル・ブリンナーの競演を軸にしたゴージャスなキャスティングと華やかな展開もさることながら、何といってもクライマックスの海が割れるスペクタクルが話題の中心。旧約聖書の「出エジプト記」のことなどまったく知らなかったものの、とにかく奇跡の凄まじさに画面にくぎ付けになってしまった。『ゴジラ』はすでにみていたが、特撮技術の迫力に圧倒されたのはこの作品だった。
それから半世紀余、今度は本作でリドリー・スコットが「出エジプト記」を題材に壮大なスペクタクル史劇にチャレンジしてみせた。
スコットは『エイリアン』や『ブレードランナー』で映像の美しさを称えられたが、本人はむしろストーリーテラーを志向していた(筆者はインタビューでこの耳で聞いた)。『ブラックレイン』あたりから感触をつかみ、『グラディエーター』で、ストーリーテラーとしてのスキルをいかんなく披露してみせた。以降は手掛ける作品はヴァラエティに富み、どんな素材でも見ごたえのある作品に仕上げることを誇りにしている感じすらする。
したがってコーマック・マッカーシー原作の諦観にみちたサスペンス『悪の法則』を手がけた後に、旧約聖書の世界を最新の3D方式で映像化するという王道的なプロジェクトに挑んだのも頷ける。その振幅の広さがスコットの真骨頂だ。
神に従い英雄となるモーゼとエジプト王ラムセスの確執をドラマの軸に据えつつ、圧倒的なスペクタクルシーンのつるべ打ち。ぐいぐいとサスペンスを盛り上げながら、40万人のヘブライ人を連れてエジプトを脱出するクライマックス、あの大海の水が左右に割れて道ができるシーンまで疾走する。
神の意向のもとで英雄の道を歩むモーゼに対し、兄弟同然に育ったラムセスははなはだ人間的に設定されている。モーゼに対し羨望や嫉妬を抱き、王となるや傲慢の限りを尽くす。その半面、わが子に対する情の深さがあるからこそ、異神の行なった仕打ちに激怒する。その弱さを含めて極めて魅力的なキャラクターに仕立てている。
脚本は『トラブル・カレッジ/大学をつくろう!』や『ペントハウス』の原案で名を連ねたアダム・クーパーにビル・コラージュ、さらに『ナイロビの蜂』のジェフリー・ケインと『シンドラーのリスト』のスティーヴン・ザイリアンが加わって練り上げられた。ザイリアンは『アメリカン・ギャングスター』でスコットと組み、製作総指揮まで引き受けた間柄。お互いに信頼しあっている。
出演者はモーゼに『バットマン ビギンズ』からはじまる三部作で、主役を務めたクリスチャン・ベール。対するラムセスには『アニマル・キングダム』や『華麗なるギャツビー』などでじわじわと人気を高めているジョエル・エドガートンが抜擢されている。
さらに『バートン・フィンク』のジョン・タートゥーロに『エイリアン』シリーズのシガーニー・ウィーヴァー。テレビシリーズ「ブレイキング・バッド」で注目されたアーロン・ポール、『ガンジー』のベン・キングスレーなど、充実の顔ぶれだ。
エキストラが延べ15000人、セットに携わった美術スタッフも1000人以上。さらに17台のカメラを駆使して撮りあげた超スケールの映像。ここにCG、VFXも加わって、まさに圧巻の映像が本作の売りであることはいうまでもない。
紀元前1300年、ヘブライ人を奴隷にして古代エジプトは栄華を誇っていた。王セティのもと、モーゼは王子のラムセスと兄弟同然に育った。モーゼはことあるごとに王子を盛りたてていたが、ラムセスの方は親しみを抱きながらもモーゼに対して羨望を禁じえなかった。
セティからの信頼が厚いモーゼだったが、視察に訪れた先で、ヘブライ人奴隷のヌンから彼の出自がヘブライ人であると告げられる。
セティの死後、ラムセスはモーゼの出自を知り、葛藤の末、彼を追放する。荒野をさまよったモーゼは遊牧民と出会い、娘ツィボラと結婚。息子にも恵まれ、平和な暮らしをしていたが、神から「同胞を助けよ」との啓示を受ける。
モーゼは平和な生活を捨て、エジプトに戻る。ラムセスにヘブライ人の解放を迫るが拒否されてしまう。それ以来、エジプトには天変地異が起きる。ナイル川が血に赤く染まり、蛙や虻が大量発生。疫病がはやり、ラムセスの長男も倒れる。
このヘブライ人にとっての“10の奇跡”により、ラムセスはヘブライ人の退去を認めるに至る。モーゼは40万人のヘブライ人を連れて、約束の地カナンに向かうが、心変わりしたラムセス率いるエジプト軍が追いかける。前は紅海、ヘブライ人が絶体絶命のなか、再び奇跡が起こる――。
ヘブライ人とエジプト人はそもそも信じる神が違うわけで、ヘブライの神が起こす奇跡のためにエジプト人が悲惨な目にあうのも致し方ないか。ここでは為政者と奴隷の図式だが、宗教の違いから生まれる反目は現代と変わらない。とはいえ、スコットはあくまでエンターテインメントの王道を貫き、巧みな語り口で見せ場をつなぐ。ヘブライ人を救うモーゼの一代記を圧巻のアドベンチャーに仕立てているのだ。もちろん、魅力はヴィジュアル・インパクト。巨大なセットやモブシーンを特撮技術と融合させ、スコットは3Dによる史劇の決定版をつくろうとの思いに燃えている。
その一方で、ラムセスの心情にも分け入ることで、対立のドラマの骨格を明確にする。前作では諦観が色濃かったスコットだが、ここでも傲慢さのなかで取り返しのつかない判断をして自滅するラムセスにシンパシーを感じているようにみえる。弟トニーの死の影響が、彼の作品に陰影を与えているかのようだ。
出演者では、ベールが意志の強いモーゼを存在感たっぷりに演じきっている。人間として当たり前の矛盾を抱えながら、リーダーとして人々を率いる使命を背負ったキャラクターをきっちりと表現してみせる。ラムセスを演じるエドガートンもいい。人間的な弱さを備えた独裁者を熱演している。
宗教に対して許容度の広い日本人には測りがたい、民族のアイデンティティの核となる宗教の在り様がエンターテインメントのかたちで伝わってくる。デミルの『十戒』と見比べてみるのも一興だ。