昨年は『アクト・オブ・キリング』や『消えた画 クメール・ルージュの真実』、『リヴァイアサン』をはじめ、個性に溢れたドキュメンタリー作品がいくつも一般公開され、多くの注目を集めた。一般劇場で公開されることで、それまでドキュメンタリー作品に触れることのなかった人々にも見る機会が生まれるのは、なによりよろこばしいことだ。その数がさらに増えることを望むばかりだ。
フレデリック・ワイズマンは、数いるドキュメンタリーの匠のなかでも、もっとも作品が一般公開されている存在だ。“フレデリック・ワイズマン映画祭”といった特集企画に加えて、近年は『パリ・オペラ座のすべて』(2009)や『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』(2011)などが劇場公開されている。
2014年にヴェネチア国際映画祭で生涯功労賞にあたる栄誉金獅子賞を手にしたことでも分かるごとく、ワイズマンは“現存する最も偉大なドキュメンタリー作家”、“アメリカ映画最大の映画作家”と称えられる。それも道理、なにせ1967年に第1作『チチカット・フォーリーズ』を発表して以来、ほぼ年に1本の間隔で作品を生みだしてきた。
題材にするのはコミュニティや社会、施設。その世界を構成しているひとつひとつの要素を映像化し、魔術的な編集で再構築することで、全体像をくっきりと浮かび上がらせるのが特徴だ。ナレーションや説明的な字幕、音楽を排し、客観的な描写に徹しながら、まごうことなきワイズマンならではの世界になっている。クリント・イーストウッドと同じく1930年生まれ。今年、85歳になったが、作品を重ねるごとに、語り口の凄味はさらに増してきた印象だ。
本作でワイズマンが挑んだ題材は、世界最大級のコレクションを誇る英国国立美術館、ナショナル・ギャラリー。彼は “美術館についての映画”の企画を30年間も温めてきたのだという。
ロンドンの中心地トラファルガー広場に位置するナショナル・ギャラリーは、美術史上に重要な2,300点あまりの作品を所蔵し、年間500万人を超える入場者を誇っている。1824年の設立以来、190年の歴史を誇るこの美術館を、ワイズマンは綿密にリサーチし、さまざまなアングルから撮影を敢行。この美術館の日常をみごとに映像に収めている。
出来るだけ少数のクルーと撮影に臨み、対象となる人々の自然な動きを切り取る。自分たちの存在を消すことが理想といいきるワイズマンだけあって、ここでも美術館を織りなす人々の日常が魅力的にとらえられている。
美術館にやってきた入場者を前にした講演会やガイドツアーなどで、学芸員や専門家が絵画に対する愛や情熱を語り、この美術館が誇る高度な修復作業の一端が紹介される。作品にふさわしい額縁を製作する風景や、展示位置や照明の見直しの模様、場内を清掃する人々。なにより、美術館に集う老若男女、さまざまな肌の色の人々の表情が活き活きと切り取られる。
現代の美術館の在り方を議論する、館長のニコラス・ペニーと運営スタッフの生々しいやりとりも挿入される。予算やパブリシティの是非、企業とのコラボレーションについて生々しく討議されていく。カメラを前にして、これほど生々しい議論が展開されることに脅かされる。これもまたワイズマンの“存在を消す”技術のなせる技だ。
もちろん、この美術館が所蔵する作品もワイズマンなりのやり方でカメラに収められている。ワイドショットとクローズアップを駆使して、あえて絵画のフレームを壊し、額縁のなかの絵という常識を排して、絵そのもののインパクトに迫るアプローチ。彼が長年、温めてきた美術館についての映画のコンセプトは、この絵画のアプローチに集約されている。対象を見すえて映像で語るのだが、決して高みに立った視点ではない。ワイズマンは撮影の瞬間につかみとったものを観客に体験させてくれる。時には聴衆のひとりになって、学芸員の絵画・美術の蘊蓄に惹きこまれ、聞き惚れているかのようだ。
全編、181分。ナショナル・ギャラリーという世界の構成要素を、ワイズマンがモザイクのように編集した逸品。彼の美術に対する思い、眼差しを心ゆくまで堪能できる。
これは単純な美術館紹介映画ではない。あくまでワイズマンが体験し、心惹かれた瞬間が編まれた世界。“体験する”喜びに包まれた作品なのだ。未だ、2015年の初頭ながら、今年屈指の作品。一見をお勧めする。