『リヴァイアサン』は“体感する”という形容がふさわしい、ヴィジュアル・インパクトに富んだドキュメンタリー注目作!

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『リヴァイアサン』
8月23日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給:東風
©Arrete Ton Cinema 2012
公式サイト:http://www.leviathan-movie.com/

 

 近年、ドキュメンタリー映画が一般劇場で公開されるケースが増えてきた。多様化を続けるドキュメンタリー映画の奥行きの深さを、多くの人が実感できる機会が増えてきたのはまことに喜ばしい限りだが、とりわけ本作品はユニークさでは群を抜いている。

 なにしろ、チラシのメインコピーが“これは 映画か 怪物か?”というのだ。
 確かに題名の“リヴァイアサン”とはヘブライ語が語源で、旧約聖書に登場する海の怪物を指しているので、このコピーを付した気持ちは分からなくもない。しかし、コピーから内容はまったく伝わってはこない。具体的なことばにすると、作品の魅力が伝わらないとの判断だろう。
 カメラは、かつて捕鯨の中心地であった漁港、ニューベッドフォードから出港した底引き網漁船アテーナ号とともに海に乗り出し、これまで試みてこられなかった手法で映像を切り取っている。危険と隣り合わせの漁に同行し、映像で肉薄すると書くと、いささか本作の魅力から外れている気がする。
 映像には底知れぬ海、漁師たち、海洋生物が切り取られているが、リアルに漁師の仕事ぶりをレポートするわけでもないし、海洋生物の生態をクローズアップするのでもない。ひとつひとつの対象が例のない手法で映像化され、本来の存在から解き放たれて、シュールで刺激的な世界を構築しているのだ。

 監督はルーシアン・キャステーヌ=テイラーとヴェレナ・パラヴェル。ふたりはハーバード大学感覚民族学研究所に所属する人類学者であり映像作家。当初はニューベッドフォードのポートレイトを描くつもりで製作に入ったというが、次第に海の並はずれた魅力に惹きつけられて、陸地のシーンを捨てるに至ったとコメントしている。
 ふたりが海上で試みたのは、視点の多様性。“ものの見かたの多様性をつくることで、人類を相対化しようとした”のだという。
 この目的のために、ふたりは防水機能付きの超小型カメラGoProを使用。その数は実に11台に及んだ。これらを漁師の頭、漁網や死んだ魚など、思いつく限りのところに配置して撮影した。細かいプランがあったかどうかは定かではない。推察するに、偶発性に任せた撮影であったろう。その結果として、これまで誰もが撮らなかった多くの映像がもたらされた。
 ふたりはそうした映像を編集によって再構築し、音楽を挿入しながらもセリフを殆ど入れないことによって、見る者の想像力に委ねる手法を採った。
 映像のインパクトだけを前面に押し出した手法によって、さまざまな映画祭で絶賛が相次ぎ、ロカルノ国際映画祭で国際批評家連盟賞に輝いたのをはじめ数々の受賞を誇るに至った。なかには“ドキュメンタリー映画の概念を変えた”とか“古臭いドキュメンタリー論をぶっ飛ばす!”といった評も生まれている。

 確かに、筆者が初めて作品に触れたとき、映像の勢い、その斬新さに度肝を抜かれた覚えがある。
 ちょうどドキュメンタリー作品をまとめてみる時期だったこともあり、何の予備知識もなかったことがかえってよかった。かつてない映像に圧倒されてしまった。ドキュメンタリーの在り方を変えたとは思っていないが、映画を“体感する”喜びを堪能することはできる。
 驚きにも鮮度がある。本作のヴィジュアル・インパクトを満喫するために肝心なのは、あまり予備知識をもたずに素直に映像に触れること。そうすれば、リヴァイアサンと名付けたことも頷けるはずだ。まこと、一見に値する作品だ。