昨年の『きっと、うまくいく』のヒットなどで日本でも再びインド映画がじわじわと脚光を浴びてきた。歌あり踊りあり、笑いもペーソスも盛り込まれ、迫力たっぷりのアクションも網羅される。まさにエンターテインメントのあらゆる要素が詰め込まれた作品が多く、人気の理由も分かるのだが、本作はそうしたボリウッド映画とは明確に一線を画している。
これが長編劇映画デビューとなる監督のリテーシュ・バトラは、ニューヨーク大学映画科で学び、ロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス・インスティテュートに転じた。レッドフォード自身に指導を受け、現在はニューヨークを拠点に置く存在。本作で故郷のインド・ムンバイを舞台に、男女の心の機微を細やかに綴って見せた。インド本国ではこうした繊細な“ドラマ”はあまりヒットしないのだというが、本作に限っては大ヒットを記録した。
ヒットしたのは国内だけではない。カンヌ国際映画祭批評家週間観客賞に輝き、ザグレブ映画祭ゴールデン・プラム賞、アジア太平洋スクリーン・アワード脚本賞並びに審査員グランプリをはじめ、各国の映画祭で数々の受賞歴を誇ったことが注目を浴び、ヨーロッパ各地でインド映画の歴史を塗り替えるほどの大ヒットを記録した。
ストーリーの核になるのは、ムンバイの弁当配達システムだ。ムンバイのダッパーワーラー(お弁当配達人)が各家庭から弁当を集め、複雑な符号方式を用いてそれを間違いなく家人のオフィスに届ける。弁当はオフィスに届くまでに多くの人を介するのだが、ハーバード大学が調べたところ、誤配率は600万分の1なのだという。
本作が描くのはまさに600万分の1の確率で生じたドラマということになる。バトラはダッパーワーラーのドキュメンタリーを製作するために彼らに密着したが、取材した話があまりに面白かったためにフィクションに方向転換。フランス、ドイツの資本も製作に参加して映画化が実現したのだという。本作は、まったく文化の異なる人々であっても共感しうるストーリーとキャラクターで構築されているからだろう。
出演は1988年の『サラーム・ボンベイ!』で個性を発揮し、近年では『スラムドッグ$ミリオネア』や『アメイジング・スパイダーマン』、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』などに顔を出していたイルファーン・カーン。ヒロインに抜擢されたのは舞台で活動するニムラト・カウル。さらにボリウッドで個性を発揮するナワーズッディーン・シッディーキーが加わる。
ムンバイのサラリーマンたちの生活をリアルに浮き彫りにしながら、人生の哀歓を洗練された語り口で紡ぐ。決して大きな製作費の作品ではないが、琴線に触れる仕上がりなのだ。
ムンバイの主婦イラは冷たくなった夫の心を取り戻すべく、上の階に住むおばさんのアドバイスにしたがって、お弁当づくりの腕によりをかけた。お弁当はダッパーワーラーの手に渡る。
しかし、弁当は夫のもとには届かなかった。早期退職を控えた保険会社の会計係サージャンが受け取ってしまう。妻を失くしてやもめ暮らしのサージャンは、近所の食堂に弁当を頼んでいるので疑いもせずに食べたが、珍しくこれが実にうまい。
イラは戻ってきた弁当箱が空になっていたので喜び、帰ってきた夫と弁当の味を尋ねるが話があわない。誤配送だと気づいたイラは翌日、手紙を弁当に潜ませる。その手紙に、サージャンは返事をしたためる。かくして、弁当を介した文通がはじまる。
夫の無関心な態度に我慢を強いられているイラの愚痴に対して、サージャンは含蓄のあることばで返す。この秘めやかな交流は偏屈で孤独なサージャンの心にも温もりをもたらし、彼は邪険に扱っていた後任のシャイクに対しても優しく接するようになる。
やがて、夫の浮気を疑うイラはサージャンと会いたいと告げる。サージャンは悩んだ末に、ある行動を選択する――。
コンピュータやスマートフォンの時代に、弁当箱に託した手紙で絆を結ぶという発想にまず惹かれる。ペンでことばを連ねて気持ちを表現することの美しさがきっちりと映像に焼き付けられているのだ。会ったこともない相手だから、素直に心情を吐露することもできるし、相手の気持ちを受け止めてやることもできる。心惑うイラに対して、サージャンは人生の機微に富んだことばで応じる。このやりとりがうっとりするぐらい魅惑的だ。
なによりもバトラの優れた人物造形に拍手を送りたくなる。バリバリと働く夫が冷淡になったことに傷つき、不満を募らせながらも家事に忙しく日々を送る主婦イラは、文化の異なる社会の女性でも共感しうるキャラクターだろう。最愛の妻を失くし孤独のなかで心を閉ざしているサージャンも同様だ。仕事は堅実、実直。その能力は上司も認めるところだが、人とのつきあいは最小限度。人生に対して諦めを感じている。このふたりが絆を育むことによって、人生に対する後ろ向きの気持ちを改め、希望に向かって一歩を踏み出すことを選択する。この爽やかな展開が世界各地で人気を博した理由だろう。
もし同じ展開でアメリカやヨーロッパのやり方で製作したら、情感に富んだ不倫ラブストーリーになる可能性が大だが、バトラはインドの価値観に則って、心のふれあいに留めて余韻を残す。これもまた好もしい。
俳優ではサージャン役のカーンの存在感が秀抜だ。むしろ抑えたタッチで初老の男のペーソスを表現してみせる。画面にくっきりと男の哀しみが匂い立つ。近年では出色の演技といいたくなる。ヒロインのイラに扮するカウルは清潔感のある色香を漂わしながら、家に縛られた主婦の哀歓を演じきっている。屈託がない後任のシャイクを演じるシッディーキーも個性をみせる。それぞれのキャラクターが細やかな演出と演技によって、いずれも画面に際立っているのだ。
余韻がなんとも心地よい作品。絢爛豪華なボリウッド・ミュージカルも素敵だが、こうしたインド映画にも注目されたい。心を癒してくれる仕上がりである。