アメリカン・コミックを原作にする映画は数多くつくられ、ヒーローのみならず仇役を主人公にした作品まで登場するようになった。ヒーローには培ったイメージを守ることや資質を問われるけれど、仇役やサブキャラクターに焦点を当てると自由な解釈が許される。
本作の主人公マダム・ウェブは原作コミックでは未来予知でスパイダーマンを救うキャラクターとして登場する。クモの巣状の生命維持装置につながれた盲目の老女として描かれることが多いというが、本作では若い行動的な女性として登場する。彼女が特殊な能力を身につけた経緯が紡がれる。いわばマダム・ウェブへの道の第一歩の趣だ。
まず、アマゾンの奥地で蜘蛛の研究に没頭している臨月の女性学者が新種の蜘蛛を発見する経緯が描かれる。だが、蜘蛛は助手の男に奪われ、学者は重傷をおってしまう。
それから長い年月が経つ。ヒロインのキャシーは救命士としてニューヨークで活動している。救命のためなら見境なく、危険な任務に飛び込んでいく。
しかし、そのキャラクターが災いし、車ごと橋から落下。昏睡状態に陥ってしまう。
目覚めたときに、キャシーは未来を予知する能力を身につけていた。その能力に混乱するうち、3人の少女が暴漢に襲われるイメージに取り憑かれる。持ち前の正義感から3人を救ったが暴漢に狙われる破目になる。
大富豪の暴漢は監視システムを駆使して彼女たちを追いつめていく――。
いわゆるアメリカン・コミックのヒーロー映画を考えると、外れる気がする。基本はいかに逃げ果せるかで引っ張っていくストーリーだし、クライマックスに対決シーンはあるものの、サスペンスで終始するスタイル。最後にヒロインの因縁めいた出自、つながりが明らかになる仕掛けだ。スパイダーマンのシリーズの常として、敵は関係者というセオリーは維持しながら、「逃げる、追う」のパターンで押し通している。
多少、語り口が生硬で判りにくいきらいがあり、本国アメリカで評判が芳しくない理由でもあるのだが、サスペンス・ミステリーに仕立てようとの意気込みは買っていい。脚本は『モービウス』のマット・サザマとパーク・シャープレス。これに製作総指揮のクレア・パーカーと監督に抜擢されたS・J・クラークソンが加わってさらに知恵を絞った。
クラークソンはテレビ畑で注目を集めた監督で、本作ではとにかくスピードが生命。多少乱暴と思えるほどの速さで疾走するため、説明不足の部分もあるが、最後のオチまでひた走る。基本はキャシーという女性の巻き込まれ方サスペンスのかたちをとりながら、嫌味のない女性主導の作品に仕上げた点は評価したくなる。
出演者も異色だ。『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』や『サスペリア』などで個性を発揮したダコタ・ジョンソンをヒロインに、『預言者』で世界に注目され、『ナポレオン』でも異彩を放ったタハール・ラヒムが仇役を演じる。
3人の少女には、人気テレビシリーズの「ユーフォリア/EUPHORIA」のシドニー・スウィニー、『トランスフォーマ―/最後の騎士王』のイザベラ・メルセド、そして『ゴーストバスターズ/アフターライフ』のセレステ・オコナーと新進女優が選りすぐられている。
この作品から新たなシリーズが生まれるかどうかは未だ分からないが、ダコタ・ジョンソンの奮闘ぶりが好もしい。こういうアメリカン・コミック映画化作品があってもいいか。