映画という表現が誕生してから130年近い歳月が経過し、世界各国の匠たちが歴史を彩ってきた。今では数多くの個性が輩出し、多様な映画が妍を競う状況に至っている。
見る者の感性によって、鮮烈に焼き付いた存在もさまざまだろうが、筆者が最も心に残る監督といえば、スペイン・バスク出身のビクトル・エリセに止めを刺す。
1973年に『ミツバチのささやき』で長編映画デビューを果たした、1940年生まれのエリセは、以後の50年の間に本作を含めて3本の長編作品しか手掛けていない。それにもかかわらず、各国の映画ファンから新作を切望され続ける。
オムニバス作品に参加する以外は沈黙を守るのは、機が熟するのを待っているのか。もっと現実的な製作費の問題なのか。ファンはひたすら待ち続けることになる。
考えてみれば、『ミツバチのささやき』が日本で公開されたのも製作年よりも10年以上を経ていた。確か、第2作『エル・スール』に先立つかたちで公開されたと記憶している。
この第一作は派手ではないが、見る者の心に響く仕上がりだった。筆者のような熱狂的な支持者を生むことになった。スペイン内戦終結直後の1940年を舞台に、巡回映画で『フランケンシュタイン』を見た少女アナが、姉から村はずれの家に怪物が棲んでいると聞かされ、そこで脱走兵と出会う展開。無垢な少女の目を通して、エリセは国の分断、スペインのフランシス・フランコ独裁政治に対する思いを盛り込む。幻想的に紡がれる語り口を通して、監督のメッセージが散りばめられている。繊細にして知的。映画に対する愛が静かな語り口で焼きつけられていた。
この作品を忘れえぬ傑作に選ぶ人も多いという。筆者も深い感動を覚えたことを記憶している。続く『エル・スール』でも、第3作のドキュメンタリー『マルメロの陽光』でも、エリセの演出は沁み入る仕上がりだった。
それから31年の期間をおいて本作の登場となる。ここで匠は自身の人生に不可欠な“映画と記憶”をモチーフに選んでいる。
ストーリーはミステリー的な展開をする。『別れの眼差し』という映画の撮影中、主演俳優のフリオが失踪した。
それから22年の歳月が流れた。フリオの親友でもある映画の監督ミゲルは、失踪の謎を追うテレビ番組から出演依頼を受ける。長い歳月は経っていたが、ミゲルの心に記憶が蘇っていく。それは青春時代、自らの半生に対する追想だった――。
決して若くない映画監督が友の行方を探り、自らの歩みをふりかえる。そこにはエリセ自身の監督としての体験、記憶が反映される。映画からテレビというメディアに座を奪われて、忸怩たる思いの監督がそこにいる。主演俳優の失踪の理由は探るべくもなくなった現在に対する哀しみと諦観が、映像から浮かび上がる。
エリセは映画評論を起稿し、日本映画、とりわけ溝口健二を敬愛していると聞く。日本とは深い関係性を保ってきた彼の作風が日本人に親しみ易い理由もここにあるのか。83歳という老境に至った彼が、長年に及ぶ映画人生の集大成を本作に込めていることは疑いがない。ミステリアスな味わいを散りばめながら、生きることのあはれ、人生の哀しみを映像にくっきりと焼きつけている。
出演者はミゲル役のマノロ・ソロ、フリオ役のホセ・コロナドなど、スペイン映画界の芸達者で固められている。
なにより特筆すべきは『ミツバチのささやき』で五歳のときに主演したアナ・トレントが50年ぶりに出演していることだ。役名はアナのまま。愛くるしく、天使のような5歳の容姿から、人生の喜怒哀楽を経験した初老の女性に変貌した表情から“人生”を思い知らされる。彼女の出演からも、エリセが映画という表現に決着をつけようとしたことが伺えるではないか。
ビクトル・エリセという不世出の映画人を記憶するには格好の作品。思わず自らの人生に思いを馳せたくなる。