スペインの匠、ペドロ・アルモドバルが、分身ともいえる映画監督を主人公に据えた自伝的要素の強い『ペイン・アンド・グローリー』を発表してから2年。早くも新作が登場した。2020年にはティルダ・スウィントンを主演に迎えた短編『ヒューマン・ボイス』を完成させているのだから、もはや完全復活といいたくなる。
しかも本作はアルモドバルの長年のモチーフである“母”をテーマにしている。匠が今度はどのような母の絆を描くのか。まして主演はアルモドバルのミューズ、ペネロペ・クルスとくるから、否が応でも期待は高まろうというものだ。
期待はもちろん、裏切られなかった。いかにもアルモドバルらしいひねった展開に翻弄される本作は、彼自身の心境が画面にくっきりと反映されている。もはや達観したかのような視点から、母というものをみつめ、スペイン社会の歴史的背景に対してきっちりと発言している。歴史を風化させないという思いが作品に漲っているのだ。
『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ボルベール〈帰郷〉』など、数々のアルモドバル作品を彩ってきたペネロペ・クルスが新たなイメージを演じるのをはじめ、凝ったキャストで勝負している。クルスと同じく母に扮するのがミレナ・スミット。これが長編2作目となる新進だが、クルスの胸を借りて熱演を繰り広げる。
さらに『マジカル・ガール』のイスラエル・エレハルデ、『雲の中で散歩』のアイタナ・サンチェス=ギヨン。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』などのアルモドバル作品でお馴染みのロッシ・デ・パルマに加えて『ペイン・アンド・グローリー』で主人公の母親役を演じたフリエタ・セラーノも顔を出す。いずれもアルモドバルの気心の知れた俳優ばかりだ。
マドリードで写真家として活動するジャニスは、学者のアルトゥロの写真を撮ったことから恋に落ちる。彼女はスペイン内戦で殺された祖祖父を含む人々の遺骨発掘を彼に頼んだ。
時が流れ、ジャニスは妊娠。出産を控え入院した。同室には17歳でシングルマザーとなるアナがいた。ふたりは同じ日、同じ時間に娘を出産する。
月日が経ち、娘に会いたいと訪ねてきたアルトゥロはその顔を見るなり、帰ってしまう。自分の子とは思えないと言い渡され、悩んだ末に、DNAテストをすると、意外な事実が明らかになる。100パ-セントの確立でジャニスの子ではないというのだ。ジャニスは秘密を抱えたまま生きて行こうと決心する。
だが、彼女がアナと偶然に再会したとき、アナの子が死んでいたことが聞かされる。気が動転しながらも、彼女をベビーシッターとして住み込みで働くことを提案する。まもなく彼女は祖祖父の遺骨発掘計画と子供の問題という重大事に直面することになる――。
アルモドバルは変わらぬメロドラマ的な展開のもと、円熟した語り口をみせてくれる。いささかの破綻もなく、ジャニスという母の動揺、葛藤を浮き彫りにしていく。そもそもヒロインがジャニスと名付けられたのも、ヒッピーだった母がジャニス・ジョプリンに敬意を表してのものというところも機微をついている。60年代世代に育てられると、常識やしきたりに縛られない女性となることが、名前から伺える仕掛けだ。
ただ、以前よりも出来事に対して達観している印象がするのは、アルモドバルの現在の心境が成せる業だろう。悲劇も喜劇も起る人生であっても、過ぎ去れば熱さを忘れる。人生の一大事は時間とともに忘却の彼方に押しやられるもの。人間の感情に対して、ある種の諦観を持っているといえば言い過ぎだろうか。
もっともストーリー部分をあっさり紡いでも、ラストのスペイン内戦で惨殺され、闇に葬られた人々の遺骨に関しては、きっちりと記録する。スペインにはこれだけ隠された歴史があったということを、アルモドバルは克明に描き出す。この事実を語ることが自らの世代の義務であると語りかける。母の葛藤と並行して歴史の発掘を描きこんだところに、この匠の今の思いがある。
ジャニス・ジョプリンの「サマータイム」やマイルス・デイビスの「枯葉」が挿入されるのも嬉しい。
本作と同時期にティルダ・スウィントンの短編『ヒューマン・ボイス』も公開される。ジャン・コクトーの戯曲を自由に翻案した英語劇。スウィントンの圧倒的な存在感で魅せる作品だ。アルモドバルのチャレンジ精神が今も健在であることが分かる。こちらも一見の価値がある。