『アムステルダム』は驚くべき陰謀論が繰り広げられる、コミカルで弾けた“ほぼ実話”!

『アムステルダム』
10月28日(金)より全国ロードショー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/amsterdam.

 アメリカ映画界のなかで、デヴィッド・O・ラッセルは間違いなく異彩を放つ存在となっている。

 初の長編映画、1994年の『Spanking the Monkey』 でインディペンデント・スピリット賞に加えサンダンス映画祭観客賞を受賞。以降、『アメリカの災難』(1996)、『スリー・キングス』(1999)、『ハッカビーズ』(2004)と、エッジの利いたユニークな作品を次々と生み出した。

 さらに2010年の『ザ・ファイター』では自らがアカデミー監督賞にノミネートされるとともに、クリスチャン・ベールに助演男優賞、メリッサ・レオに助演女優賞をもたらした。

 続く2012年の『世界にひとつのプレイブック』ではアカデミー主演女優賞をジェニファー・ローレンスが獲得。ここでも監督賞にはノミネートされていた。2013年の『アメリカン・ハッスル』では無冠に終わったが、アカデミー賞10部門にノミネートされた。

 ここまで目覚しい勢いだったが、2015年の『ジョイ』はジェニファー・ローレンスがアカデミーにノミネートされたものの日本では劇場未公開。2015年の『世界にひとつのロマンティック』は<カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2019>にて上映されたに留まった。勢いに陰りが出てきた印象だった。

 それから7年の月日が流れたが、デヴィッド・O・ラッセルは本作が実現する機会を窺っていたという。自ら脚本を書き、クリスチャン・ベールとともに企画を温めた。

 歴史的な事実を軸に置きつつ、フィクションでブレンドする。O・ラッセルが得意とする手法だ。本作でもアウトサイダーをキャラクターの軸にして、ユーモアを漂わせながら、社会性も込めて風刺も散りばめる。エンタテインメントとして結実している。この監督は常に会話の面白さを求め、ともすると過剰な印象を与えるきらいはあれども、本作ではほどよく抑制された反骨ぶりだ。

 なにより時代設定を1933年に据えたことで、往年のハードボイルドミステリー的な一人称のスタイルにしたことがみごとにはまった。「古き佳き」時代性を映像に漂わせながら、あくまでも社会的なメッセージの芯を貫く。なるほど俳優たちが挙って彼の作品に出たがる理由も分かろうというものだ。

 なによりの魅力はゴージャスなキャスティングにある。

 製作にも絡んだクリスチャン・ベールを筆頭に、『アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル』や『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』のマーゴット・ロビー、『TNET テネット』や『ブラック・クランズマン』で知られるジョン・デヴィッド・ワシントン、今年のアカデミー授賞式で司会を務めて話題となったクリス・ロック、『ボヘミアン・ラプソディ』でアカデミー主演男優賞に輝いたラミ・マレック。『ラストナイト・イン・ソーホー』の可憐さが光ったアニャ・テイラー=ジョイ。

 まだまだキャストは続く。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のゾーイ・サルタナに『オースティン・パワーズ』のマイク・マイヤーズ、『ニューヨーク 親切なロシア料理店』のアンドレア・ライズボロー、『ブレット・トレイン』のマイケル・シャノン、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のティモシー・オリファント、『君と歩く世界』のマティアス・スーナールツ。歌姫テイラー・スウィフトも顔を出せば、監督に全幅の信頼を寄せるロバート・デ・ニーロが演技を押さえる。まさに盤石の出演者である。ここまで豪華な顔ぶれだと、誰がどんなシーンに顔を出すかが楽しみになる。

 1933年、第一次大戦で片眼を失ったバートは医師として、戦友である弁護士のハロルド共に、復員兵や貧しい人を助けるために、忙しく日々を送っていた。

 ある日、戦地での恩人であるミーキンズ将軍の死を怪しんだ娘の依頼で検死をすることになる。その結果を娘に伝えた瞬間、娘は何者かに殺され、バートとハロルドが犯人にされてしまう。

 身の潔白を証明するために、娘が訪ねたという資産家の家に向かったふたりは、思わぬ出会いをする。

 かつてヨーロッパに従軍し、傷ついたときに看護してくれたヴァレリーがそこにいた。三人はアムステルダムに滞在し、真の自由と差別のない世界を満喫したことがあった。幸せな日々は、ヴァレリーとハロルドが愛し合っていることを知ったバートが身を引くかたちでアメリカに帰ったことで、終止符を打った。

 三人は将軍と娘の死の背後に陰謀の匂いを感じ、事件の解決のために、協力して捜査を進めた――。

 主人公が殺人事件の容疑者にされるという、巻き込まれ方サスペンスの典型的な滑り出しから、ストーリーは予断を許さず、目まぐるしく進む。バートとハロルドが友人になった経緯から、地獄のような戦場で精神的、肉体的疵を負うくだり。看護婦のヴァレリーと知り合って、この世の天国アムステルダムで過ごす至極の日々も描かれるなかで、彼らが巻き込まれた事件の背後に潜む陰謀が明らかになっていくあたりまで、多少、慌ただしい語り口ではあれども見る者は翻弄されるばかり。

 しかも映像がクラシカルで酔わせる。撮影監督は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』や『レヴェナント:蘇えりし者』が絶賛されたメキシコの異才エマニュエル・ルベツキ。プロダクション・デザインはO・ラッセル作品に加え、『キャロル』や『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』など往年の時代を背景にした作品で力を発揮するジュディ・ベッカーとくるから応えられない。スタッフの頑張りもこの作品の魅力を倍増している。

 出演者もこれだけも顔ぶれが揃った作品も珍しい。いずれも役の大小に関わらず、楽しんで演じている風情。群像ドラマというのがふさわしい。

 もちろん、製作にも絡んだだけあって、バート役のクリスチャン・ベールはボケに徹してペーソス十分。身分違いの嫁をもらって背伸びをしたばっかりに、片眼を失う善良な医師を軽快に演じ切る。年齢とともに人生の悲哀を存分に感じさせてくれる。

 1930年代の話なのに、持つ者と持たざる者、社会を牛耳る者とはじき出された者の図式は今も変わってはいない。本作で語られた陰謀が最後にニュースリールで1933年に実際に起きたことだと明らかになる。デヴィッド・O・ラッセルの骨太な批判精神は健在だ。