『ミセス・ハリス、パリへ行く』は温もりのある情の機微を描いた英国映画らしいコメディ。

『ミセス・ハリス、パリへ行く』
11月18日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ、渋谷ホワイトシネクイントほか全国ロードショー
配給:パルコ ユニバーサル映画
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公式サイト:https://www.universalpictures.jp/micro/mrsharris

 かつてのイーリング・コメディや、1950年代から1960年代はじめまで盛んだったキッチン・シンク・リアリズムの例を挙げるまでもなく、英国映画は庶民の哀歓を巧みに描いた傑作が多い。生活感漂う状況のなかで、社会を支える労働者階級の人々の姿を活写し、素敵な人間喜劇をつくりあげる。演技の巧みな俳優たちと手堅い演出が生み出す世界は見る者の心に迫ってくる。今年に入って公開された『ゴヤの名画と優しい泥棒』はその好例といえるだろう。

 タイトル自体は決してそそられるものではないが、本作は素敵な内容の仕上がりだ。心優しきヒロインの姿に魅了され、見終わると心がほっこりする。クリスチャン・ディオールのオートクチュール・ドレスに魅了された家政婦が単身、パリに乗り込み、真心と優しさで多くの人々の心に感銘を残していく。英国映画の良質な部分が織り込まれた作品なのだ。

 原作はアメリカ人作家ポール・ギャリコの同名原作。ハリスおばさんを主人公にした物語はシリーズ化されているが、もっとも評判のいいのが本作ということになる。監督として雇われたアンソニー・ファビアンは脚色権を手に入れるや、『メイジーの瞳』で知られるキャロル・カートライトに声をかけ、原作のウィットを活かしながら原案を作成。『ソウルガールズ』のキース・トンプソンと『真珠の耳飾りの少女』のオリヴィア・ヘトリードがブラッシュアップして脚本を完成させた。

 サンフランシスコ生まれのファビアンはロンドンを拠点にして実話のファミリードラマやドキュメンタリー作品を手がけてきたが、日本で紹介されたものはほとんどない。どちらかというと地味な存在なのだが、本作で一躍知られることになった。

 原作者のギャリコの小説が好きで、少年時代にパリで過ごした経験のある監督にとっては、描かれている世界にとりわけ親近感を覚えた。1950年代のパリを再現することに注力し、ディオールのエレガントでゴージャスなドレスの数々を魅惑的に映像に焼きつける。ドレスのグラマラスなラインは往年の映画をほうふつとする。

 しかも出演者がぴったりと役にはまっている。ミセス・ハリスにはレスリー・マンヴィル。『家族の庭』をはじめマイク・リー作品の常連で、『ファントム・スレッド』ではアカデミー助演女優賞にノミネートされた。2020年の『すべてが変わった日』では鬼気迫る役を演じるなど芸行きの広さには定評がある。

 共演は『エル ELLE』をはじめフランス映画界で長年にわたって活動を続けるイザベル・ユペール。硬軟いずれの役でも存在感を示し、もはや名女優の域に達している女優である。

 さらにNetflixの「エミリー、パリへ行く」で人気となったフランスのリュガ・ブラヴォー、同じくNetflixの「シスター戦士」のアルバ・バチスタという若手が加わり、『ランデヴー』(1985)の昔から活動を続けるランベール・ウィルソン、『パトリオット』のジェイソン・アイザックスという性格俳優が脇を固める。決して派手ではないが充実したキャスティングである。

 愛する夫が戦死したトピ負う知らせがハリス夫人のもとにもたらされた。予期していたこととはいえ、やはり悲しみが夫人を襲う。健気にふるまいながら、夫人は日々の仕事をこなす。彼女は家政婦としていくつかの家を出入りしていた。

 ある日、高慢ちきでケチな奥さんの所有するクリスチャン・ディオールのドレスに、夫人は釘付けとなる。エレガントで美しいドレスに一目ぼれした彼女は、自分のドレスを手に入れようと決意する。

 仕事を増やし、夫の遺したお金やドッグレースの賞金、懸賞などをかき集めて、旅券を入手し、パリに旅立つ。

 早速、メゾン・ディオールを訪れたハリス夫人は威圧的なマネージャーから追い出されそうになるが、酔狂な公爵が彼女を招き入れる。

 夫人はグリーンのドレスに惹かれて購入を決意。だが仕立て直すまでに数週間かかるといわれる。時間がかかることを予想していなかった夫人だが、住まいの協力をしてくれたのはディオールの会計士とモデルの女の子。さらに直しの間にお針子たちを味方につけた夫人だったが、トラブルはまだ続く――。

 素直で心優しく、ざっくばらんなキャラクターのハリス夫人はロンドンの階級社会にいる時よりも、フランスで滞在した時の方が活き活きしている。状況を知らないから、誰に対しても分け隔てなくつきあえるのが幸いしたか。素直な物言いが気取ったフランス人の心を溶かすのだ。いささかカリカチュアライズされているとはいえ、労働者階級の中年女性が人の好さでファッション業界に新風を吹き込む展開は痛快である。

 ファビアンはディオールのオートクチュール・ドレスの優美さを前面に押し出し、ハリス夫人の夢の正当さを称える。愛する人を失った彼女がドレスを通じて生きる活力を取り戻す。新たな人々との出会いを通して彼女の人生にも喜びがあることを実感するのだ。

 ここに登場するのは意地悪や傲慢な人はいるものの、決して悪人はいない。ハリス夫人の人となりがそうさせるのか。ハリス夫人を演じるレスリー・マンヴィルの庶民的な顔立ちが説得力をもつ。共演者はイザベル・ユペールもランベール・ウィルソン、ジェイソン・アイザックスもいかにもの役で安心してみていられる。どんなキャラクターに扮するかを推理しながら見るのも一興だ。

 最後にとてもいい気分になれる作品。アメリカでスマッシュヒットを飾ったのも頷ける。他人に対して優しくない時代だからこそ、存在価値もある。お勧めしたい所以である。