アフリカ系のスターがかつて「我々が成り上がるにはスポーツかショービジネスの世界しかなかった」という名言を述べたことがある。最近のように格差が広がってくると、このことばは今では誰にでも通用する気がしてくる。
大して学歴もなく、コネもない人間が成り上がるには特出すべき才能が必要ということ。アスリートとして抜きんでているか、あるいは演技力、歌唱力、容姿が圧倒的か、あるいはマネージメント能力に秀でているのも資格に入るか。こうした能力の持ち主で、絶妙のタイミングに恵まれれば成功の階段を上ることになる。
こうした才能で成功した人々に焦点を当てた成功譚は意外なことに英国圏の作品に多い。階級社会の上に移民も多い多民族社会。実際に音楽ならビートルズ、スポーツならデヴィッド・ベッカムなどの世界的成功例があるせいだろうか。本家イングランドのみならず、アイルランドやスコットランドから成り上がった人も数多い。
本作は、そうした実話の映画化だ。1990年代のブリットポップ・ムーブメントを牽引したイギリスの音楽レーベル、クリエイション・レコーズの創設者、アラン・マッギーの軌跡を描いている。クリエイション・レコーズといえば、オアシスを筆頭にプライマル・スクリーム、ティーンエイジ・ファンクラブ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどを送り出したレーベル。「世界で最も成功したインディーズ・レーベル」の呼び声も高い。これを立ち上げたアラン・マッギーはどのようにして機会を掴みとったのか。その波瀾万丈な人生が映像化される。
1990年代の寵児となったマッギーの軌跡を紡ぐに当たって、脚本を担当したのが『トレインスポッティング』の原作者アーヴィン・ウォルシュ。彼は以前よりクリエイション・レコーズのほとんどのアーティストと親しく、マッギーの成功譚を書くのにふさわしい存在だった。共同で仕事をすることが多いディーン・キャヴァナーとともに、おかしくも哀しいドラマを構築した。
この共同作業が可能になったのも製作総指揮を『トレインスポッティング』や『スラムドッグ$ミリオネア』の監督として名高いダニー・ボイルが引き受けたからだ。スコットランドの成功者マッギーの風変わりなキャラクターを称え、大企業のレコード会社では表現できない、時代を生々しく表現したインディーズの底力を謳いあげる。音楽から政治に手を出したマッギーの痛快な生き方がくっきりと描かれる。
メガフォンを取ったのは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』で主演を務め、監督作『Telstar: The Joe Meek Story』では演出力が評価されたニック・モラン。1960年代に世界的なヒット曲を数多く生み出したプロデューサー、ジョー・ミークの半生を追った伝記映画を、ウォルシュとキャヴァナーがいたく気に入っていて、本作の監督にはぴったりだと考えたという。
出演者も個性に富んだ顔ぶれが揃えられた。『トレインスポッティング』や『ブラックホーク・ダウン』などで知られるユエン・ブレムナーがマッギーを演じ、『高慢と偏見とゾンビ』のスーキー・ウォーターハウス、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』のジェイソン・フレミングなど、いかにも英国圏らしい俳優ばかりだ。
スコットランド生まれのマッギーはセックス・ピストルズのようなロックスターを夢見ていたが、それを許さぬ保守的な父親と衝突していた。
同じロック好きの仲間と出会い、故郷を飛び出しロンドンで暮らし始める。だが、バンドでは食えず、鉄道会社に就職。稼いだお金でロックのファンジンを出版。クラブ経営もはじめる。
そこで出会ったバンドを売り出すことに興味をそそられたマッギーは仲間と共にクリエイション・レコーズを設立。マッギーは巧みな話術で宣伝の才能を開花させていった。
次第に人気バンドを輩出する人気レーベルとなるが、レーベル運営のプレッシャーや家庭問題によって精神的に追い詰められていった。ドラッグ漬けになり、自分を見失ったマッギーは次に政治の世界に挑戦する――。
スコットランドからイギリスを席巻するようになった男の風変わりな英雄ストーリーと形容したくなる。1990年代の音楽シーンをリードした男はアイデアに富んだセールス上手。一方で反骨の気概を持っていたことが明らかにされる。主人公がドラッグに溺れるあたりは『トレインスポッティング』をほうふつとするのは同じ製作陣のゆえか、それともスコットランド人気質がそうさせるのか。
クリエイション・レコーズに影響を受けた世代には、オアシスとの出会いをはじめ各アーティストとのつきあいは興味深いに違いない。彼の曲の数々のさわりが聴けるのも嬉しい限りだ。ニック・モランの演出は、ダニー・ボイルのような“けれん”をみせずに、ひとりの男の生き様をストレートに浮かび上がらせている。
マッギーのことを良く知らない世代には1990年代のイギリス社会の雰囲気を新鮮に楽しめる。音楽ファンではなくとも、20世紀最後のイギリス社会の気分は堪能できるはずだ。英国圏らしい作品である。