『彼女のいない部屋』は監督としてのマチュー・アマルリックの素晴らしさを堪能できる哀切の作品。

『彼女のいない部屋』
8月26日(金)よりBunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー
配給:ムヴィオラ
©2021 – LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
公式サイト:https://moviola.jp/kanojo/

 マチュー・アマルリックの存在を意識したのは、アルノー・デプレシャンの『そして僕は恋をする』からだった。1992年にカンヌ国際映画祭で『魂を救え!』に衝撃を受けて以来、デプレシャンに注目してきたので、アマルリックに着目したのは早かった。皮肉っぽいのに憎めない表情。決して長身ではなく、親しみやすい容姿の持ち主で、画面に登場するや、見る者を惹きこむ存在感がある。

 以降、『キングス&クイーン』や『クリスマス・ストーリー』、『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』に『あの頃エッフェル塔の下で』に至るデプレシャン作品はもちろんのこと、スティーヴン・スピルバーグの『ミュンヘン』やジュリアン・シュナーベルの『潜水服は蝶の夢を見る』、マーク・フォースターの『007/慰めの報酬』、さらにウェス・アンダーソンの『グランド・ブタペスト・ホテル』、そして今年公開されたロマン・ポランスキーの『オフィサー・アンド・スパイ』などなど、名だたる作品に起用されてはくっきりと個性を焼きつけてきた。

 アマルリックの才能は演技だけに留まらない。監督として、カンヌ国際映画祭の監督賞に輝いた『さすらいの女神たち』や、カンヌ国際映画祭“ある視点”部門のオープニングに選ばれた『バルバラ セーヌの黒いバラ』を手がけ、高い評価を受けている。洞察力に富んだ語り口と自在な演出力で見る者を惹きつけて止まないのだ。

 2021年に発表した本作もまた例外ではない。クロディーヌ・ガレアの戯曲に触発されてアマルリック自身が書いた脚本を、演出した作品で、映画に対する深い愛と情熱が込められている。

 ただ、本作を紹介するのは容易ではない。予備知識なしに作品を見てもらい、感情を実感してもらいたいとの意図のもと、海外資料のストーリーは「家出をした女性の物語、のようだ」とあるだけ。

 とはいえ、決して難解な物語ではない。フランスの地方都市とおぼしき場所を車で走らせる女性の映像が次々と紡がれ、そのバラバラのピースがある時点で突然に、ひとつのかたちを成していく。一見、奇矯に見える彼女の行動が、実は深い意味があることに気づき、そこに至って、彼女の痛切な思い、愛に心が衝かれる。見ていて、ヒロインの心情に深い共感を覚えるようになるのだ。アマルリックの映画監督としての力量の高さを改めて再認識する。綿密な計算のもとでカットの組み立てがなされ、みごとなモンタージュが形成されている。

 ヒロインが車で出かけたのはどんな気持ちの故なのか。これは作品を見てとくと実感していただきたい。

 ヒロインを演じるのは、ポール・トーマス・アンダーソンの『ファントム・スレッド』やミア・ハンセン=ラヴの『ベルイマン島にて』などに出演していたヴィッキー・クリーヴス。ほとんど彼女のひとり芝居のようだが、さりげなく『Girl/ガール』のアリエ・ワルトアルテがサポートしている。

 なによりもアマルリックと呼吸のあったクリストフ・ボーカルヌの撮影が素晴らしい。何気ない風景の映像が深い意味を持ってくるあたりは真骨頂といえる。さらに映像を優しく縁取る音楽も心に沁みる。ベートーベンやドビュッシーのピアノ曲、J・J・ケイルの「チェリー」など、多彩な選曲でヒロインの心の彷徨を補強している。

 見終わったあとに、深い余韻がもたらされる。アマルリックの監督としての力量に脱帽したくなる。何の予備知識も持たずに接するのが正解だ。素敵な作品である。