『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』はチャン・イーモウが自らの記憶を辿った、郷愁誘う情のドラマ。

『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』
5月20日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか、全国ロードショー
配給:ツイン
©Huanxi Media Group Limited 
公式サイト onesecond-movie.com

 チャン・イーモウといえば、北京オリンピック・セレモニーの総監督として名を馳せた。2008年の夏季に続き、2022年の冬季も引き受けたのだから、中国政府の“お抱え監督”的なイメージになってしまったのは、いささか残念だ。

 振り返れば、イーモウはチェン・カイコーの『大閲兵』などで撮影監督として秀でたカメラワークを謳われ、自ら監督した『紅いコーリャン』がベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を受賞。志を持った中国映画人たち“第五世代”の旗手として華々しい注目を浴びた。以降『菊豆』や『活きる』、『上海ルージュ』に『あの子を探して』、そして『初恋のきた道』などの秀作を発表。

 方向性が変わったのは『HERO』、さらに『LOVERS』といった香港的武侠アクションで成功を収めてからだろうか。どんなジャンルにも自信を得たか。『王妃の紋章』、『女と銃と荒野の麵屋』といったエンターテインメント路線を進み、傍ら高倉健主演の『単騎、千里を走る。』やコン・リーをひさびさに主演に迎えた『妻への家路』といった人情路線で存在感をアピールし、ついにはマット・デイモン主演の『グレートウォール』なんていう珍品まで担当するに至った。

 もともとイーモウは文化大革命で下放され、僻地で苦労し、庶民の側に立った作品で多くの共感を得てきたが、エンターテインメントに走り、政府のお墨付きをもらうまでになった。だが、彼は初心を忘れていなかった。本作で再び文化大革命時代の記憶を辿ってみせる。1960年当時に味わった、映画に対する忘れえぬ体験、思いを込めて、『単騎、千里を走る。』などで知られる中国を代表する脚本家、ヅォウ・ジンジーとともに脚本をまとめ上げた。

 1969年、文化大革命の最中、造反派に歯向かったために、男は中国西北部の砂漠と荒野の僻地にある強制収容所送りになってしまった。妻と別れ、最愛の娘とも会うことができない。数年後、男のもとに娘がニュース映画22号に1秒だけ映っているとの知らせが入る。

 娘会いたさに居ても立ってもいられず、男は収容所を脱走。広大な砂漠をひたすら歩き、映画が上映される村を目指す。

 その途中、フィルム缶を運ぶ男から缶を盗み出す娘を目撃。なんとかフィルムを取り返し、村に持っていくが、ニュース映画22号の缶は中身が散乱し、ぼろぼろに汚れてしまう。村の有力者の映写技師はフィルムの汚れを村人全員で洗うことを提案し、男も村人とともに手伝うことになる。

 フィルムを盗もうとした娘も幼い弟を助けるためにしでかしたこと。男は彼女の一途な思いに心打たれる。

 やがて、フィルムの洗浄は週わった。果たして、男は娘の映像を見ることができるだろうか――。

 どこまでも広大な砂漠を懸命に歩む男の姿――チャン・イーモウはまず冒頭の圧倒的な映像で見る者を惹きこむ。強制収容所から脱出し、村を目指す男は人の眼を避け、貧しい身なりだが、この地域の人々の服装も彼と変わらない。未だ中国という国が貧しく、激動期にあったからだ。イーモウは幾分、ノスタルジーを滲ませながら、貧しいが純だった人々の姿を活写する。貧しく、何も娯楽がなかった時代に、映画だけは誰もが楽しめる唯一のものだった。日本でもこうした映画に対する思いはかつてあった。

 汚れたフィルムを洗うシーンはイーモウ自身が僻地で体験したことだったという。フィルムを愛情込めて洗う。まさに映画ファンならずとも心動かされる。村の集会所で村人か一心に画面に釘付けになるシーンもまた昔を思い出し、胸が熱くなる。イーモウは映画に熱中した時代を懐かしみ、今はなくなってしまった映画への純粋な喜びを称えているかのようだ。『HERO』からのつきあいの撮影のチャオ・シャオティンとともに、圧巻の映像美を生み出しつつ、映画愛と庶民の人情を称える。作品を重ねるたびに、うまくなったストーリーテリングがここでも映える。

 出演者もいい。『最愛の子』のチャン・イーが逃亡者を熱演すれば、本作が映画デビューのリウ・ハオツンが可憐な健気さで勝負する。これまでコン・リーやチャン・ツィイーを世に送り出した監督の眼はいささかも衰えていない。リウ・ハオツンはこれからの中国映画界で際立つ逸材だ。

 うまい。うますぎる。チャン・イーモウの巧みな演出に最後まで翻弄される。国家イベントに参加するよりも、こういう作品をもっと生み出してほしいものだ。