李相日の長編最新作の登場だ。
この監督は、安易なレッテルを貼られた人間の実像に分け入り、そのリアルな存在を映像に浮かび上がらせ続けてきた。
広く注目されるきっかけとなった『フラガール』では炭鉱町の少女がステージで花開くプロセスを細やかに綴り、センセーションを巻き起こした『悪人』では“人殺し”で片づけられる男の心情をくっきり と描き出した。さらに2016年の『怒り』では、人を信じることの難しさを、説得力を持って焼きつけた。いずれも閉塞感に満ちた日本という社会を背景に、人間らしく生きることの困難を画面に焼きつけてきた。人間の在り様を深く掘り下げ、感動に導く。いずれも濃密な映画体験を堪能することができた。
待望久しい本作でも姿勢は変わらない。2020年本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名小説を李相日自身が脚色。原作に刻まれた、既存のことばでは表現できない絆、心の結びつきに惹かれた監督は、繊細で濃密な映像を構築。切なくも哀しいストーリーを紡いでいる。
出演は広瀬すずに松坂桃李。李監督は『怒り』で広瀬に衝撃的シーンを演じさせたが、本作では大人の女優としてさらなるチャレンジを求めた。身体の肉をそぎ落としてキャラクターのイメージに近づけた松坂とともに、監督の世界に溶け込むべく熱演を繰り広げる。
共演の横浜流星もこれまでにない脆い役柄に挑戦し、多部未華子も出番は少ないがくっきりと存在感を焼きつけている。
家に帰りたくない10歳の家内更紗が公園でひとり本を読んでいたとき、声をかけたのは大学生の佐伯文だった。
「家に来る?」のひと言から、ふたりの共同生活がはじまった。ふたりにとって自由で温かく、互いに息のつける日々だったが、夏の終わりに幸せな時間は終わりを告げる。
その日から、更紗は「誘拐事件の被害女児」、文はその「誘拐犯」となった。
15年後、ふたりは偶然の再会をとげる。だが、成長とともに、ふたりは互いにさまざまなものを背負い過ぎていた──。
誘拐事件の被害者のレッテルを貼られ、受け身の生き方を強いられた女性と、ロリコンの変態の烙印を押された男は、実はこの上なくピュアな絆を育んでいた。この設定は、これまでの李監督作品と同様、当事者たちの他人に測り知れないつながりに焦点を当てている。
所詮、他人を真から理解することなんてできはしないというと、いささかペシミスティックだが、ここに描かれる絆は踏み込んで焼きつけられているから理解できる。あえていうなら、他人の入り込む余地のない関係だから美しいともいえる。李監督はふたりの思いの深さを繊細に浮かび上がらせる。夢のような関係を結んだがために、その後の15年がいかに辛いものだったのかは描かれないが、しっかりと伝わってくる。
これは間違いなく愛の物語だ。監督によれば「恋愛という言葉では括れない濃密で清々しいふたりに、ある種の理想形を垣間見た」という。その思いをじっくりと誠実な語り口で画面に焼きつけている。原作の世界観をしっかり保ったまま、監督の視点が前面に出ているのだ。
なにより、本作が特筆すべきなのは映像の素晴らしさだ。撮影はホン・ギョンピョ。『パラサイト 半地下の家族』や『バーニング〈劇場版〉』、『哭声/コクソン』に『母なる証明』などなど、韓国映画の名作に欠くことのできない撮影監督である。李相日が彼の作品のファンでオファーしたというが、彼もまた李監督作品に惹かれていたという。いわば相思相愛のふたりがコラボレートした映像は、まこと息を呑むほどに美しく、ドラマチックだ。画面にしっかりと決まる構図、抒情とリアルさが滲み出る映像にひたすら魅せられる。この撮影監督が映画の価値を倍増したといっても過言ではない。さらに原摩利彦のエモーショナルな音楽がさらに情感を増す。
このスタッフのもとで出演者の個性がみごとに花開いている。少女時代の体験からされるがままの女性となったヒロインが、魂の絆を結んだ相手に再会したとき、初めて相手を拒否する行動をとるあたり、広瀬すずの熱い頑張りが光る。またヒロインの現在の恋人に扮した横浜流星が、いかにも今様のエゴイスティックな青年像も特筆に値する。松坂桃李の静かな演じっぷりと好対照だ。
決して飲み込みやすい作品とはいえないが、作品を見ていくうちに深い余韻が待ち受けている。間違いなく一見に値する仕上がりである。