『ゴヤの名画と優しい泥棒』は往年のイギリス喜劇をほうふつとする、温もりがあって風刺の効いたコメディ。

『ゴヤの名画と優しい泥棒』
2月25日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020
公式サイト:https://happinet-phantom.com/goya-movie/

 ロジャー・ミッシェルが2021年9月22日に逝去していた。あまりニュースが広まらなかった気がするが、まだ65歳の若さでの急逝。死因も伝わってきていない。コメディの旗手として活躍していただけに、何とも惜しまれる限りだ。本作を見るとなおさら残念な思いに囚われる。

 ミッシェルの最大のヒット作といえばやはり1999年の『ノッティングヒルの恋人』ということになる。ハリウッドの人気女優と書店の主人の恋をコミカルかつロマンティックに描き出して世界中から称賛を浴びた。女優役のジュリア・ロバーツ、書店主役のヒュー・グラントの個性が十全に引き出され、エルヴィス・コステロの主題歌も人気を集めた。ミッシェルの軽やかな演出の成果である。

 また2006年の『ヴィーナス』も忘れ難い。名優ピーター・オトゥールに老いた俳優を演じさせ、コックニー訛り丸出しの若い女性に恋する顛末をユーモアとペーソスを交えて描き出した。老いの哀しみと生への執着。心に沁みる仕上がりで、オトゥールはこの作品で受賞はならなかったが、アカデミー賞ノミネートを果たした。

 この他にも『恋とニュースのつくり方』(2011)や『私が愛した大統領』(2013)、『ウィークエンドはパリで』(2014)などのコメディを生み出してきた。一方で『チェンジング・レーン』(2002)や『Jの悲劇』(2004)といったサスペンスも手掛けていたが、話題性はコメディ作品に軍配が上がる。

 本作はミッシェルの最後のフィクションということになる(彼が挑んだドキュメンタリー『エリザベス 女王陛下の微笑み』は完成間近だ)。実話をもとにした本作で彼が目指したのは、作品の時代設定(1961年)当時の英国コメディの世界だ。庶民の哀歓を軽快に描き出し、みる者の心を和ませる。ウェルメイドなつくりとテンポの良さが際立っている。

 ストーリーはニューキャッスルの元タクシー運転手、ケンプトン・バントンに焦点を当てる。正義感の強い 60 歳。高齢者の娯楽であるテレビ放送にBBCが受信料を取ることに憤り、人種差別に対しても黙っていることができない。おかげでタクシー会社をクビになり、バイトもうまくいかない。ひたすら戯曲を書き貯めてはメディアに送り続けていた。

 一家を支えるのはメイドとして働く妻ドロシー、彼女の給料にかかっていた。あまりに能天気な夫に対して彼女は怒りを覚える日々だった。

 そんな中、政府がイギリスが誇る美術館“ロンドン・ナショナル・ギャラリー”のためにフランシスコ・デ・ゴヤ作の「ウェリントン公爵の肖像」に大枚をはたいたことを知り、バントンは大いに怒る。それだけの公費を高齢者のために使えば、イギリスはもっと豊かになるとの思いがあって、ある行動に出る。

 そして「ウェリントン公爵の肖像」が盗まれる。政府は国際的なギャング集団の仕業と断定するが、絵を手にしたバントンはBBCの受信料を無料にするように政府に要求。やがて捕まったバントンの裁判が始まる。彼は裁判に臨み、思いのたけを訴える――。

 正義感が強く楽天的な主人公を描いていくうちに、彼にも悲しい過去のあったことが浮かび上がってくる。単なる能天気な男ではなく過酷な体験もしてきた男。それでも社会正義を謳い、正義に燃える男として、ミッシェルはキャラクターを温かく描き出す。バントン一家から提供された資料を参考にしながら、脚本化したのは、劇作家のリチャ―ド・ビーンとクライヴ・コールマン。ふたりはバントン一家それぞれのキャラクターを巧みに描き分けつつ、1960年初頭に生きる庶民の思い、生き様をくっきりと浮き彫りにした。この脚本から、登場人物の情の機微や喜び、悲しみを、ミッシェルがみごとに映像化している。ミッシェルにとっても記憶のある時代とあって、当時の社会を活き活きと再現している。映画ファンにとっても嬉しくなるような小ネタも織り込まれていて、当時話題となった『ウエスト・サイド物語』や『007は殺しの番号』などが登場するのは嬉しい限りだ。

 なによりも出演者の存在感が圧倒的だ。ケンプントン・バントンには『アイリス』でアカデミー助演男優層に輝いたジム・ブロードベント、ドロシーには『クイーン』でアカデミー主演女優賞を手中に収めたヘレン・ミレンと来る。二大名優の競演で作品の厚みがグーンと増した。どこまでも明るく振舞うブロードベントとは対照的に、ミレンは生活に疲れ、ぎすぎすした初老女性をみごとに演じ切っている。この好対照が作品に緊張感を生む。ドロシーが能天気と思っていた夫の心情を知り、柔らかく接するようになるあたりは、ミレンの演技が素晴らしい。

 共演も『ダンケルク』のフィオン・ホワイトヘッド、テレビシリーズ「ダウントン・アビー」のマシュー・グードなど、実力派が揃っている。

 庶民の生活、思いを謳いあげた往年の英国喜劇の味わいを堪能できる仕上がり。これを見ると、ロジャー・ミッシェルの早すぎる死をただ悲しむ。おとなが喜ぶ秀作である。