『ハウス・オブ・グッチ』は個性派俳優の競演でみせる、ファッショナブルな実録サスペンス。

『ハウス・オブ・グッチ』
2022年1月14日(金)より、TOHOシネマズ日比谷、新宿バルト9、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:東宝東和
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公式サイト:https://house-of-gucci.jp/

 実話の映画化というだけで注目度は高くなるが、それがスキャンダラスな殺人事件で、背景となったのがファッション帝国“グッチ”の内紛となれば、ゴシップ好きでなくとも食指が伸びる。実在の人々が現存しているとなると、さらに映画化のハードルは上がると思われるが、リドリー・スコットは長い年月をかけて実現にこぎつけた。

 2000年代初めに、リドリーの妻でプロデューサーのジャンニーナ・スコットがサラ・ゲイ・フォーデン原作の同名ノンフィクションの映画化権を入手したものの、当初はグッチが協力を拒否したことで二転三転、そのため企画は長い間、進行しなかった。

 ようやく2019年になって、リドリー・スコット監督、レディー・ガガの主演という座組で実現することになる。原作を『セブン・イヤーズ・イン・チベット』などで知られるベッキー・ジョンストンが原案と脚色。監督・脚本家として嘱望されているロベルト・ベンティヴェーニャがまとめることになった。

 映画もこなすレディー・ガガに匹敵するキャスティングということで、相手役にはスコットの前作『最後の決闘裁判』にも出演したアダム・ドライバーが起用された。加えてアル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレット・レト、ジャック・ヒューストン、サルマ・ハエック、カミーユ・コッタンといった演技自慢が集結。愛と欲の絡んだ権力抗争の一部始終を、この上なく濃い演技で競い合う。

 スコットは、俳優たちの熱演を活かしつつ、権力抗争に走る人々の姿を幾分の皮肉を込めて、辛辣に浮かび上がらせる。軽快であってもシリアスに過ぎない、どこかでユーモアを滲ませて紡いでいく。時代考証をきっちり踏まえながら、1978年から始まるストーリーをじっくりと描き出す。時代に敏感なファッション業界を描くとなれば、考証は無視できない。2012年の『プロメテウス』以来『最後の決闘裁判』までタッグを組んでいる、ポーランド出身の撮影監督のダリウス・ウォルスキーとの呼吸もピッタリに当時のミラノ、ニューヨークの雰囲気を映像に焼きこんでいる。

 貧しい階級ながら野心的なパトリツィア・レッジャーニは、あるパーティでひとりの男性と親しくなる。

 彼はイタリアで最も裕福で格式高いグッチ家の後継者のひとり、マウリツィオ・グッチ。後を継ぐことに興味のない彼は弁護士を目指していた。無垢な彼を、パトリツィアは知性と美貌で魅了し、積極的にアプローチをかけた。やがてふたりはマウリツィオの父ロドルフォの反対を押し切って結婚する。

 グッチ王国の実質上のトップである、マウリツィオの伯父アルドはニューヨークを拠点に活動していたが、パトリツィアのことが気に入り、ニューヨークに招待する。

 パトリツィアは権勢欲に燃え、稼業に参画することに消極的な夫を説得。ニューヨークでブランドの仕事を任されるようになる。彼女はそれに飽き足らず、一族の権力争いまで操り、強大なファッションブランドを支配しようとした。

 そんな彼女に嫌気がさしたマウリツィオは新たな恋人とつきあいをはじめ、結婚生活に陰りが見え始める。すべてを牛耳りたいパトリツィアは独占欲に駆られて、危険な道を歩み始める――。

 上昇志向に憑かれ、どこまでも権謀術尾を継ぐ数に溺れる女性の一代記といえばいいか。策を弄し、ひたすらのし上がろうとする女性像をレディー・ガガが圧倒的な存在感で表現してみせる。上流階級に入り込むために、持てる魅力のすべてを放つ姿は、最初は健気で、可愛くさえあるが、さらに大きな権力を求めて、罠を仕掛けるあたりから凄味を増してくる。まさに策に溺れ、肝心の絆をおろそかにしたことから、彼女の破滅が始まる展開だ。権力とは無縁の階級で生まれた女性が一度、力を手にしてしまうと、どこまでも追い求めたくなる。こういう役にレディー・ガガはぴったりハマる。

 マウリツィオ役のアダム・ドライバーは、最初はどこまでも純粋でパトリツィアに異論をはさまない。彼女の醜悪な面に気づいてから、どこまでもクールに彼女を裏切る。庶民階級には想像もつかない冷酷さで彼女を捨て去るのだ。

 ふたりの軌跡を通して、周囲の人間たちはどこまでもパロディックでカリカチュアされたキャラクターとして描かれる。アルド役のアル・パチーノ、アルドの無能な息子パオロ役のジャレット・レドはいずれも怪演というにふさわしい熱い演技で場をさらう。映画のバランスよりもとにかく目立つことを一番に考えているかのようだ。

 それぞれに際立つシーンがあるものの、脚本の流れが時に雑になるのが難点。コロナ禍の製作ということで、もう少し練り込んでもよかった気がする。スコットの演出は前作『最後の決闘裁判』よりも肩の力が抜けていて、愚かな人間たちの織りなす喜劇として好もしい。

 往年のヒット曲やファッションも懐かしく、個性派俳優のテンションの高い演技を堪能できる。新春にふさわしい華やかな仕上がりだ。