1999年の『マトリックス』より始まり、2003年の『マトリックス リローデッド』と『マトリックス レボリューションズ』で構成されていた三部作にいよいよ続編が登場する。
映像表現に革命をもたらして、ジャパニメーションや香港アクションからの引用を殺陣や世界観に反映させた三部作は、世界的なヒットを飾るとともに後に生まれるSF、アクションに大きな影響を与えた。それから18年の歳月を経て、流行も風潮も大きく変化したなかで、どのような世界をみせてくれるのか、期待は否が応でも高まる。
そうして作品に接してみると、三部作のおかげで“マトリックス”世界が想像以上に脳内に焼き付いていることが分かった。描かれる映像がどんな繋がりをするのか、イメージがどんどん膨らんでいくのだ。つまりは三部作を前提にして、新たな物語が構築されているといえばいいか。監督のラナ・ウォシャウスキーは細かいコンセプト、世界観を押さえたうえで、あえて脚本を他人と分かつ戦略に出た。選ばれたのは、かつて手がけた『クラウド・アトラス』の原作者デヴィッド・ミッチェルと、製作も兼ねたテレビシリーズ「センス8」で脚本に参加したアレクサンドル・ヘモン。ヘモンは小説「ノーホエア・マン」で知られ“現代のナボコフ”との異名を持つ。
文学的に評価の高いミッチェルとヘモンの参画で“マトリックス”世界は確かに変わった。どちらかというと滑らかなストーリーになった感じがする。細部については、予断を与えたくないので、ご自身の眼で体感していただくべく詳細は記さない。ただ、時空を超えたラブストーリーに収斂されたことは言ってもいいだろう。
トーマス・A・アンダーソンは、全世界で知られたゲーム「マトリックス」のクリエーターとして、裕福な生活をしていた。
サンフランシスコに住み、青いカプセルを飲むことを日課としながら、穏やかな普通の生活を送っていたが、どこか満たされていない。
ある日、ティファニーと名乗る女性が出会うが、ふたりは互いの事が分かっていない。
まもなくトーマスの前にモーフィアスが現われ、青いカプセルと赤いカプセルの二者択一を迫る。赤のカプセルを選んだトーマスはネオとなって、再びマトリックスの世界へ入って行くが、その前に彼にはやるべきことがあった――。
ほんのさわりを記すと、こんな展開になる。ストーリーの核はネオとトリニティーの絆。時空を超え、まったく異なるシチュエーションを与えられても、ふたりの愛はなくなることがないというエモーショナルな設定に仕上げられている。デヴィッド・ミッチェルとアレクサンドル・ヘモンはオリジナル三部作よりも卓抜したストーリーを求められ、ネオとトリニティーの関係に絞り込んだ展開にした。オリジナルの飛躍に富んだ驚きに満ちたストーリーではないが、細やかな感情が通った世界になっている。
もちろんユエン・ウーピンが、これまでに監督たちと確立したアクション、スタントの趣向は本作でも存分に取り入れられている。特撮技術も同様だが、18年の歳月が驚きを失くした代わりに、より滑らかな映像技術として洗練されている。
ラナ・ウォウシャオスキーにとっては自分の世界がより文学的に延長されたと感じたか。アクションとドラマ部門を巧みに棲み分けつつ、クライマックスまでひた走る。強い愛は絶たれることがないというメッセージが心地よく迫ってくる。
それにしてもネオ役のキアヌ・リーヴスには惹きつけられる。ジョン・ウィックなど最近の当たり役もあるものの、ネオ役は特別だ。容姿の変容はそのままネオの変容として押し切るあたり、さすがスターといいたくなる。本作でも多くのアクション、スタントを披露しているが、さすがにキレがいい。アクション・スターとして輝きが違う。
そのことはトリニティー役のキャリー=アン・モスも同じだ。平凡な主婦ティファニーとして現れたときは生活に疲れたイメージだったが、トリニティーに目覚めてからはヒロインとして光を帯びる。このふたりが演じ続ける限り、“マトリックス”世界は不変である。
キャスティングが一新されたものもある。三部作ではローレンス・フィッシュバーンが演じたモーフィアスは『キャンディマン』などで注目の若手、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世が抜擢され、ヒューゴ・ウィーヴィングが怪演をみせたエージェント・スミスはアニメーション『アナと雪の女王』のクリストフの声で知られるジョナサン・グロフが選ばれた。
三部作に熱狂したファンにとっては18年の歳月で容姿の変わった出演者に驚くかもしれない。細かいネタがぎゅうぎゅうに押し込まれているのだ。
とるものもとりあえず本作は見るしかない。それぞれ異なる余韻に浸りながら、話し合う楽しさがある。正月にふさわしい作品である。