『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』は難聴に陥ったドラマーの軌跡を綴った、心に沁みる作品。

『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』
10月1日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国ロードショー
配給:カルチャヴィル
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公式サイト:https://www.culture-ville.jp/soundofmetal

 激しいサウンドのなかに身をさらし、自ら楽曲に調和して音を生み出す。およそミュージシャンほど耳を酷使する存在はない。そのミュージシャンが突如、聴覚障害に陥ったとなると大変だ。それまで音響に囲まれて生活し、生業にしてきたことが否定されてしまう恐怖に直面することになる。

 第93回アカデミー賞において、作品賞、主演男優賞、脚本賞を含む6部門にノミネートされ、音響賞と編集賞に輝いた本作は、聴覚障害に陥ったドラマーの軌跡を繊細に浮かび上がらせる。展開を聞くだけであれば「難病もの」や「感動の美談」を連想するが、本作は病に襲われた男の心の裡と行動を極めて誠実に映像化している。

 生み出したのはデレク・シアンフランス監督作『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』の脚本で注目されたダリウス・マーダー。彼がシアンフランスと原案を練り、12年の歳月をかけて誕生させた作品である。もともとはシアンフランスが手がける予定の企画だったが、マーダーが引き継ぎ完成にこぎつけた。

 そもそもはマーダーの少年時代、祖母が抗生物質の副作用で重度の難聴になったことが大きな衝撃を与え、本作の脚本に反映されたといわれる。本作の原案にはシアンフランスとマーダーが名を連ね、脚本にはマーダーと兄のエイブラハム・マーダーがクレジットされている。

 映画は主人公ルーベンの圧倒的な演奏シーンから幕を開ける。彼が音楽と調和し、時にリードしながらドラムを叩く。見る者はサウンドの圧におされ、たちまちのうちに主人公の脳内に引きずり込まれる。

 ルーベンはツアーの最中に、突然、耳がおかしくなる。轟音に耳をさらし続けたせいなのか、麻薬中毒だったことが影響しているのか。理由の分からぬまま症状はどんどん悪化していく。

 音を取り戻すには人工内耳の手術をするしかないが、高額な手術代がかかり、しかも元に戻る保証はない。公私のパートナーであるルーはルーベンを聴覚障害者のコミュニティに連れていき、彼のもとから去る。

 コミュニティの責任者ジョーは、耳が聞こえないことはハンデではなく、治すべきものでもないという考えの持ち主。ここで暮らすうちに、ルーベンは静けさというものを実感し、手話を通じてコミュニケーションもとれるようになるが、決して元の生活を忘れたわけではなかった。

 穏やかな日々のなかで、ルーベンはある決断をする。その選択は彼の新たな日々の旅立ちとなった――。

 主人公の脳内の視点で、まず聴覚の失われる恐怖、無力さが描かれ、それから聴覚障害者コミュニティの静かな生活、手話による豊かなコミュニケーションが紡がれる。コミュニティの責任者による、聞こえないことをあるがままに受け入れるという考え方に半ば説得されながらも、ルーベンが過去の生活すべてを消し去ることができない姿に共感させられる。まことマーダーの語り口は誠実で、主人公の心の葛藤、軌跡が画面を通してみる者に沁み入っていく。

 ここで描かれるのは聴覚障害をいかに克服するかではなくて、あることをきっかけに日常が変わってしまうと、「もう元に戻れない」という事実だ。主人公のルーベンは身をもって体現することになる。充実しているか否かを問わず、現在の環境、生活を剥奪されると、人は元に戻そうとあがくが、決して復元することなどできない。マーダーはその事実を細やかに描き出す。そのために綿密なサウンドデザインを課して、耳と目でルーベンの軌跡を体感できるように仕上げた。このテクニックに脱帽したくなる。アカデミー音響賞も納得である。

 マーダーはこれが長編劇映画初監督となるが、真摯に題材を捉え、瑞々しい演出で貫いている。見る者に聞こえないことを実感させ、音のないことで味わえる静けさを指し示す。ルーベンの選択によって、最後に彼が味わう苦さも含め、大いなる説得力をもって見る者に対峙している。

 出演者では何といってもルーベン役のリー・アーメッドが素晴らしい。『ヴェノム』や『ゴールデン・リバー』などでおなじみの性格俳優だが、ここでのイノセントなドラマー役はみごとという他はない。ドラミング技術も特訓で手に入れたというが、圧巻の存在感を披露してくれる。自分はこれからどう生きるべきかに悩み、元の生活を取り戻そうと努力する姿に深く惹きこまれた。アカデミー主演男優賞に匹敵する演技である。

 アーメッドと同じくアカデミー(助演男優賞)にノミネートされたジョー役のポール・レイシーの演技にも見るべきものがある。レイシーは聴覚障碍者の両親のもとで生まれ育ったことで手話が堪能。頑なに自らの主義を実践するリーダーにピッタリとはまっている。

 この他、ルー役には『レディ・プレイヤー1』のオリヴィア・クック、さらに父親役にはフランスの個性派俳優マチュー・アマルリックまで登場する。それぞれがみごとなパフォーマンスを披露してくれる。

 既に配信はされているらしいが、劇場公開は監督の意向ですべてバリアフリー字幕上映となっている。音が字幕で表示される仕掛け。映画の進行とともに、次第に気にならなくなる。まずは一見をお勧めしたい。