1990年代初めに東西の冷戦構造が崩壊してから、スパイ映画というジャンルは勢いを失った気がする。どんなに荒唐無な内容であっても、対立軸が現実にある。そのことがある種のリアルを感じさせたからだ。以降、スパイ映画はアラブを敵にまわす一方で、獅子身中の虫よろしく、最大の敵は同胞側の上層部なんて趣向が大勢を占めるようになった。アメリカ映画などはその方がよほどリアリティを感じさせた。
近年では冷戦時に時代を設定して、過去のヒリヒリした状況を再現する作品も少なくない。本作もそうした1本といえるが、なにより実話の映画化という点に衆目したくなる。ジョン・ル・カレのスパイ小説、その映画化が焼きつけた世界が、実は現実の反映であることを得心させてくれるのだ。世界の裏舞台では東西のかような虚々実々のせめぎあいが行なわれていた。その事実に慄然となる。
しかも背景は冷戦期最大の事件、キューバ危機である。1962年10月、アメリカの妨害を押し切って社会主義国家となったキューバに、ソ連がミサイル基地を建設していることが発覚。アメリカは海上封鎖をして、ソ連に中止するように迫った。
アメリカの若き大統領ジョン・F・ケネディとソ連最高指導者ニキータ・フルシチョフが互いに引かずに一触即発、核戦争の危機に陥った。
この状況のなかで西側社会に有利に働いた情報はソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の高官オレグ・ペンコフスキー大佐がもたらしたものだった。本作が描くのはいかにして情報を無事に西側に伝えることができたか。大きな役割を担った一人のビジネスマンに焦点を当てている。
CIA(アメリカ中央情報局)とMI6(英国秘密情報部)はペンコフスキーの情報をいかにして手にするかを考えた結果、スパイの経験のないセールスマン、グレヴィㇽ・ウィンに白羽の矢を立てる。東欧諸国に工業製品を卸すことを生業にしていたウィンは当初、しり込みするが、結局、引き受けることになる。
ペンコフスキーはウィンをサポートし、情報を送り続ける。彼はフルシチョフに核のボタンを持たせることが危険だと信じ、世界のために祖国の情報を西側に渡していた。その人となりと知性にウィンも惹かれ、親交を深めていく。
ペンコフスキーの情報がキューバのミサイル基地の写真だったことから、事態は急変。アメリカ、ソ連の攻防は、ペンコフスキーとウィンの人生をも大きく左右することになる――。
『ファイヤー・ウィズ・ファイヤー 炎の誓い』や『ヒットマンズ・ボディガード』などユニークな題材を手がけてきたトム・オコナーは、伝説的な存在であるペンコフスキーを助けたのが平凡なビジネスマンだったことに興味をそそられ、調査を始めた。必ずしも資料は多くなかったが、調査を進め完成したのが本作の脚本である。1960年代という時代の雰囲気、当時、製作されたスパイ映画のイメージを巧みに咀嚼しながらみごとなサスペンスに仕上げてみせた。
この脚本に興味を持ったのが演劇界で活動し、映画作品では『追想』で知られるドミニク・クック。自ら製作総指揮も引き受けるとともに、ウィン役にベネディクト・カンバーバッチを起用すべく働きかけたという。
クックの意図通り、カンバーバッチも製作総指揮も引き受けるほど作品に入れ込んだ。平凡な男がスパイという役割に次第に惹きこまれていく過程をさりげなく演じている。なにより幕切れ近くのカンバーバッチの容貌を見ると驚きを隠しきれない。役者はここまで変容して役に徹するものなのか。ただただ脱帽するばかりである。
ペンコフスキーに扮したメラーブ・ニニッゼもまたすばらしく知的な演技を披露してくれる。ジョージア出身で『名もなきアフリカの地で』などで知られる俳優だが、この人間味のあるソ連高官役は出色。みごとな存在感で画面をさらっている。カンバーバッチとの演技合戦は本作の最大の魅力といいたくなる。
20世紀リアルなスパイ映画の雰囲気を再現しながら、エンターテインメントとしても傑出している。派手な意匠ではないが、大人が楽しめる仕上がりである。