たとえ歴史から忘れ去れた事柄やイヴェントでも、映像とサウンドがあれば活き活きと蘇ることがある。その時代に黙殺されたとしても、世界の価値観やモラルは変動するもの。後に発掘されて、高い評価を受けることも少なくないのだ。
長い副題のついた本作が発掘したイヴェントはまさに不滅の輝きを放つものだ。
1960年代という激動の時代、文字通り世界は揺れ動いた。とりわけアメリカは、ベトナムに介入して兵士を送り込み、そのやり方に若者たちから異議を突きつけられるとともに、虐げられた立場にあったアフリカ系の人々の公民権運動が燃え上がった。学生運動は容易く抑え込まれたが、公民権運動は根強くアフリカ系の人々の意識を変えていった。
都市部のゲットーでは横暴な暴力を振るう官憲に対抗するべく、指導者マルコムXの影響のもと、民族主義、共産主義を掲げたブラックパンサー党が1967年頃に生まれた。「ブラック・イズ・ビューティフル」の標語のもと、自分たちの美意識をもってプライドを取り戻そうとの機運が盛り上がった。自分たちをアフロ・アメリカンと呼ぶようになったのもその頃のことだ。
こうした社会状況のなかで、本作で描かれるイヴェント“ハーレム・カルチュラル・フェスティバル”が実行に移された。1967年にニューヨークのハーレムで始まった同フェスは、音楽、文化、人権運動の啓蒙を担って開催された。
本作は1969年の6月29日から8月24日までの6回の日曜に、ハーレムのマウント・モリス・パーク(現在のマーカス・ガーベイ・パーク)で開催されたイヴェントを編集した作品となる。当時、ニューヨークのテレビのプロデューサー、ディレクターとして活動していたハル・タルチンが30万人を動員したこのイヴェントを40時間の映像に焼きつけたが、意に反して、映像を放映することができなかった。
未公開のまま50年間の月日が流れた後、『ブラックサイト』の脚本やプロデューサーとして知られるロバート・フィヴォレントが、権利をタルチンから譲り受け修復作業に入った。監督を務めたのはミュージシャンで作家としても活動するアミール・“クエストラヴ”・トンプソン。現在と1969年の類似点に気づき、初めて監督を引き受けた。熱狂的なライヴ映像に加え、1969年当時のニュース映像を差し挿むことで、1960年代末のアメリカ社会の状況をヴィヴィッドに浮かび上がらせている。
もちろん、メインはあくまでも登場するアーティストのパフォーマンスだ。スティーヴィー・ワンダー、B.B.キングなどのお馴染みの重鎮たちに加えて、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンに、「オー・ハッピー・デイ」のヒットを誇るエドウィン・ホーキンズ・シンガーズ。ゴスペルの第1人者ステイプルズ・シンガーズ。
さらに当時爆発的な人気だったスライ&ザ・ファミリー・ストーン、R&Bの世界からグラディス・ナイト&ピップス、フィフス・ディメンション、チェンバース・ブラザース。ジャズからはアビー・リンカーンにマックス・ローチ、ニナ・シモン。
加えてカール・ジェダー、ハービー・マン、ヒュー・マセケラ、モンゴ・サンタマリアなど、アフリカ系アメリカ人ではない存在も参加している。まさに1969年ニューヨークの音楽シーンをリードする人たちが結集した感じだ。
もちろん、啓蒙イヴェントであるからジェシー・ジャクソンのような黒人地位向上運動家もスピーチする。アミール・“クエストラヴ”・トンプソンは単なるライヴ・ドキュメンタリーに終わらせる気はなく、グラディス・ナイトをはじめ、現在も活動している人々にイヴェント時の感想を聞く趣向も織り込んで、当時のアフリカ系の人々の心情を称えると同時に、置かれている立場が今もそれほど変わっていないことを訴えている。
演奏される楽曲はいずれも当時、人気を博したものばかり。ジャンルが多岐に及んでいることもあって、ひと時も飽きさせない。公園に詰めかけた人々の熱気にあおられ、パフォーマーのヴォルテージも上がる。スクリーンをみつめていても熱さが伝わってくる。
パフォーマンスの素晴らしさは映像を見て得心されたい。当時を知る者としては感涙一塩。本作はサンダンス映画祭に出品され審査員太賞、観客賞に輝いた。これぞ注目したいドキュメンタリーだ。