ヤクザたちの欲にまみれた抗争を生々しく描いた『仁義なき戦い』シリーズは1970年代の日本映画シーンを熱く彩った。それまでの義理と人情の任侠道を謳ったヤクザ映画と一線を画し、どこまでも人間臭い男たちの群像劇は確かに強烈なインパクトがあった。
それから45年。『仁義なき戦い』シリーズにオマージュを捧げた『孤狼の血』が登場する。本能のおもむくままに行動するヤクザ同士の抗争と彼らの世界を取り仕切ろうとするマル暴刑事の暗躍が広島弁の会話のなかに綴られる。随所に『仁義なき戦い』をほうふつとさせる趣向を散りばめて、ワルたちの本音のストーリーを鮮やかに浮かび上がらせた。
高い人気を誇る柚月裕子の同名原作をもとに、役所広司や松坂桃李などの新旧豪華な俳優陣を揃え、『凶悪』や『日本で一番悪い奴ら』などで注目された白石和彌が弾けた演出を披露。ブラックでスリリングなエンターテインメントとして大きな話題となった。
こうなると続編が生まれるのは映画界の当然の理。だが『孤狼の血』の結末を原作と異なる展開としたために、原作小説第2弾「凶犬の眼」と整合性が取れなくなったのだという。そこで『孤狼の血』と「凶犬の眼」の間を埋める映画オリジナルのストーリーを、脚本を担当した池上純哉が構築。前作で役所広司扮するベテランマル暴刑事・大上から手ほどきを受けた新人刑事・日岡のその後が綴られる。
日岡は大上の後を継ぎ、市を拠点とする暴力団“尾谷組”と県内最大の広域暴力団“広島仁正会”の手打ちを影で仕切ったことで、裏社会、警察から一目置かれるようになっていた。
暴力団同士の抗争も一段落。日岡は周囲から疎まれながらも、スパイを使い、巧みに場を仕切っていた。
だが、ひとりの男の出所ですべてが覆される。“広島仁正会”傘下“五十子会”の上林組の組長が常人の考えもつかないような残忍非道な手法を駆使。暴力団同士の微妙なバランスを打ち崩し、邪魔者を抹殺する方法でトップに上りつめていく。
なぜか“五十子会”の元組長にだけは忠誠を尽くす上林は、元組長失脚の陰に日岡の存在があることを知り、報復を決意する。
一方、日岡は、上林の行動が引き起こした騒動を収めようと奔走するが、事態は悪化の一途をたどる。これまで隆盛を誇っていた分、反発はきつく、ヤクザからも警察からも見放され孤立する。上林の引き起こす極限状態はさらに最悪の展開を迎えることになる――。
ヤクザ社会と警察が維持していた微妙な緊張関係がたったひとりの怪物の登場によって崩され、混沌の地獄がもたらされる。第1作は『仁義なき戦い』を意識するあまり、どちらかといえばパロディックな群像ドラマの趣があったが、本作では強烈な怪物キャラクターを軸に設定することで、ヤクザ、警察両組織が翻弄される図式を、池上純哉は構築した。
主役である日岡が受けに回らざるを得ない状況のなかで、常軌を逸した上林が周囲を破壊しつくし、とことん突っ走る。常にテンション全開の上林というキャラクターは近年出色の存在といえる。監督の白石和彌は上林を演じる鈴木亮平に「日本映画史に残る悪役にしてほしい」と依頼したというが、まさに非道の一語の悪鬼ぶりをみせてくれる。常人の測り知れない理屈で行動し、何をしでかすか分からないキャラクターは、ただ画面に登場するだけで緊張感をもたらす。このキャラクターを設定したことで作品のボルテージは凄まじく上がった。
白石監督は上林役の鈴木亮平に精いっぱい弾けさせて、日岡役の松坂桃李に受けの演技を徹底させる。どこまでもエスカレートする上林に対して、日岡はそれまで築いてきた人間関係を徹底的に壊され、究極の危機のなかで生き延びるしかない。ふたりの好対照が映画に熱さを漲らせている。白石監督の語り口は上林の狂気を際立たせるために、あえてリミッターを外し、とことん生々しく、ハードな暴力描写を貫く。誰もが決して真っ当ではない世界の成長物語として出色である。
一端の悪徳警官を気取っても甘さの残る日岡を演じた松坂桃李は、次第に役に馴染んでいく風情が好もしい。上林役の鈴木亮平の熱さに比べて、静かに役を演じ切る意図が見える。一方の鈴木亮平の“成りきり”演技に水を差さずに、控えめながら確固たる演技を披露している。ふたりの熱演が作品の魅力を高めている。
共演の村上虹郎、西野七瀬をふくめ、共演陣もいい。音尾琢真、早乙女太一、渋川清彦、宇梶剛士、斎藤工、滝藤賢一、中村獅童など、ヤクザや警官、新聞記者を演じてまことに役にはまっている。なかには中村梅雀、宮崎美子など異色のキャスティングも組まれているから楽しい。
最後をみると、第3弾も期待できる。こういう公序良俗から外れたエンターテインメントはいっそ痛快だ。次作を待ちたい。