『いのちの停車場』は“映画俳優”吉永小百合が挑んだ誠実なヒューマンドラマ。

5月21日(金)より全国ロードショー
配給:東映
©2021「いのちの停車場」製作委員会
公式サイト:https://teisha-ba.jp/
 

 もはや“映画俳優”と呼べる存在はほとんどいなくなってしまった。

 唯一、現役で活動しているのは吉永小百合ということになる。映画が娯楽の王様と呼ばれた昭和30年代よりスターであり続け、現在に至るまでスクリーンの中心で輝きを放つ。作品を挙げるだけでも『キューポラのある街』や『愛と死を見つめて』、はたまた『華の乱』や『細雪』など、枚挙の暇がない。近年では『母べえ』に『ふしぎな岬の物語』まで、なんと120本を超える作品に出演してきた。

 スクリーンに焼きつけられる可憐で凛とした美しさ。吉永小百合の魅力を挙げるとすればその点に尽きる。これまで多彩なキャラクターを演じてきたが、どんな役もあくまでも吉永小百合のイメージ。本人は演技派を志向することもあったが、時代とともに歩みながら、常に輝けるスターとして存在した。

 年齢を重ねるにつれて、役柄に苦労する傾向があったが、年齢的に母親役といった発想などは捨てた方がいいと思う。彼女に似合うのは年齢に関係なく、見る者を惹きつけずにはおかない、あくまでも中心で輝くキャラクターなのだ。

 現役医師でもある南杏子の同名小説をもとにした本作では、ひさびさに吉永小百合のスターらしい存在感を堪能できる。

『八日目の蟬』が絶賛され、『ふしぎな岬の物語』で吉永作品を体験した成島出が監督を務めている。監督は『ふしぎな岬の物語』を手がけた後に、肺癌に罹った経験があり、「死と生は表裏一体」との思いをいっそう強くしたのだという。在宅医という、死を看取る役割を担う医療を題材にした原作をもとに、『母べえ』などの吉永小百合作品の脚本を山田洋二とともに担当してきた平松恵美子が脚色。

 さまざまな患者の生と死を見守るキャラクターはまさに透明感のある吉永小百合にふさわしい。演じるのは救命救急医から在宅医に転じた女性、白石咲和子である。

 長年、生命を救うことだけに全力を尽くしてきた白石は、あまりに杓子定規な病院の規定に反発、部下の過ちを被って退職する。

 故郷の金沢に戻って父の面倒を見るつもりだったが、ふとしたことから患者の残された時間に寄り添い、人生の終焉を見守る在宅医に転じることになる。

 余命いくばくもない患者たちと接していくうちに、彼女は医術に対する考え方の根本を揺るがされていく。求められているのは必ずしも医療行為のみではなく、まず思いやりを持って患者や家族に接すること。彼女は人と人とのふれあいの大切さを、身をもって体験する。

 ものみな生物は生まれたときから死に向かって歩む。人間も例外ではない。限られた生命だと頭で判っていても、なかなか受け入れ難いことだ。まして医者であればなおさらのこと。助けることしか考えなかったヒロインは、在宅医として助けられない患者を目の当たりにする。患者たちの人生をどのように豊かに終わらせるかが求められるようになる。

 作品に登場するのはさまざまな事情を抱えた老若男女。それぞれの事情を誠実に支えつつ見送るキャラクターはまさに吉永小百合の凛とした存在感がふさわしい。成島出の演出は、とかく重くなりがちな題材をむしろ淡々と描き出す。映像にどこか諦観がにじみ出るのは自らも大病をした経験のある監督の心境の表れか。

 ヒロインはむしろ感情を押さえて患者に接するのだが、感情の部分を受け持つのが広瀬すず演じる看護師=星野麻世と、松坂桃李扮する青年=野呂聖二だ。さまざまな境遇の患者たちに接し、ふたりは運命の非情を嘆き、医療の限界に憤ったりする。さらに酸いも甘いも知り尽くした在宅医院の院長を西田敏行が演じるに及んで、エモーショナルな人々に囲まれた吉永小百合の存在感が際立つことになる。キャスティングにも周到な工夫が凝らされているのだ。

 ヒロインは友人を含め、数多くの患者を看取っていくが、最後に試練が与えられる。痛みに苦しみ安楽死を望む自分の父親に対して、医師としての岐路に立たされる。どのような選択をするのが人間としてあるべき姿なのか。

 成島監督は穏やかな日常に減として存在する死を淡々と紡ぎながら、最後にヒロインに試練を与える。彼女の決断は見る者の判断に委ねられているが、嵐の後の朝のラストシーンが生きることの希望を象徴している。人生をどのように律するのが最善なのか。込められたテーマが素直に沁み込んでくる。

 この映画は“映画女優”吉永小百合の足跡を支えてきたが、残念ながら昨年末に急逝した東映の岡田裕介氏の最後の製作総指揮作品となった。今後、吉永小百合という映画とともに生きてきた存在を誰が支えるのか。新たな吉永小百合作品を待望したい。