『騙し絵の牙』は大泉洋の個性が光る、出版業界を背景にした痛快“騙しあい”エンターテインメント!

『騙し絵の牙』
3月26日(金)より、丸の内ピカデリー、TOHOシネマズ日本橋、グランドシネマサンシャイン 池袋ほか全国ロードショー全国ロードショー
配給:松竹
©2021「騙し絵の牙」製作委員会
公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/damashienokiba/

 1996年10月に開始された北海道の伝説的テレビ番組「水曜どうでしょう」で、当時学生だった大泉洋はたちまち注目された。

 へこたれない、口の減らない個性といえばいいか、当時は決して美男ではない、うらなり的容姿が妙に忘れ難く記憶に焼きつけられた。この伝説番組は多チャンネル化の流れに乗って、今もどこかの専門チャンネル、地方局で繰り返し放送されているのだから、大泉洋の認知度が高くなったことも頷ける。

 もちろん、俳優としての軌跡は目覚しいものがある。大学当時の仲間と組んだTEAM NACSでの舞台活動、テレビドラマも「ハケンの品格」をはじめ、数々の人気ドラマに名を連ねた。映画もじわじわと地歩を固めた印象。まず『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』などのスタジオジブリ作品の声の出演で存在を主張し、『ゲゲゲの鬼太郎』ではねずみ男を演じて場をさらった。

 だが本領を発揮したのは2008年の内田けんじ監督作『アフタースクール』の明朗なのにミステリアスな教師役からだ。まもなく『探偵はBARにいる』シリーズで札幌愛を謳い、三谷幸喜の2013年作『清須会議』での羽柴秀吉に至る。

 2015年の『アイアムヒーロー』のくたびれた主人公、『駆け込み女と駆け出し男』の頼りない元見習い医師もよかったが、2018年の『恋は雨上がりのように』でラブストーリーまで演じてみせた。

 この正月には福田雄一の『新解釈・三国志』で劉備を演じるなど、まさに充実の日々を迎えつつある。1973年4月3日生まれだから、まもなく48歳を迎える。

 大泉洋がこれだけの軌跡を歩んできたとなると、彼のイメージを主人公にあて書きする作家がいても何の不思議もない。「罪の声」が絶賛された塩田武士は本作の同名原作を執筆するにあたり、主人公の速水輝を、大泉洋を念頭にかきあげたのだという。出版不況にあえぐ老舗出版社で、創業一族の社長が急逝したことによって虚々実々の権力闘争が繰り広げられる内容。映画化されたら、大泉洋にオファーが行くのは当然の理。

 かくして『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八が『天空の蜂』で知られる楠野一郎とともに原作を練り上げて脚色。そのまま吉田監督が手がけることになった。吉田監督の拘った演出がどこまで大泉洋の魅力が引き出せたか、作品を見ると得心がいく。

 共演は『万引き家族』の松岡茉優に、『his』の宮沢氷魚、さらに塚本晋也、國村隼、佐野史郎、リリー・フランキー、木村佳乃、小林聡美、佐藤浩市など芸達者が居並ぶ。

 老舗の大手出版社、薫風社の創業一族の社長が急逝した。出版不況に加えて、次期社長の座を巡って権力争いが勃発していた。

 改革派の急先鋒である専務・東松龍司は売り上げの低い雑誌の廃刊に乗り出す。カルチャー雑誌の「トリニティ」の新任編集長・速水も窮地に立たされていた。だが速水は意に介さず、会社一番の伝統を誇る「小説薫風」編集部から干された高野恵を編集部に引き抜き、人気ファッションモデルに脚光を当てる。さらに高野恵が「小説薫風」で注目していた新人小説家を横取りするなど辣腕ぶりを発揮する。

 一方、社長に就任した東松は前社長の息子を閑職に追いやり、外資系投資ファンドと秘密裏に改革を進めていた。保守派の常務は「小説薫風」を守り、「トリニティ」を危機に追い込もうと画策。かくして薫風社の内紛は大きなうねりとなって波及していく。速水に打つ手は残されているのか――。

 吉田監督の神経の行き届いた演出のもと、観客もみごとに翻弄される。出版社内の痛快無比なイニシアティヴの取り合いに惹きこまれていくうちに、予想もしなかったどんでん返しと騙しが秘められている。予断を許さない展開に驚くうちに、さらなる結末が待ち受けている。詳細は見てのお楽しみといっておこう。見終わったら、痛快な爽快感に包まれることは約束できる。

 ストーリーは良心的な本屋の娘で、出版の編集を愛する高野恵の視点で語られていく。彼女の眼を通して、人のよさそうなイメージの速水はそれだけで終わらず、色んな貌の持ち主であることが次第に明らかになる。単なる権力志向の輩ではなく、出版を愛し、そのためには手段を選ばない。速水はまさに編集者のあるべき姿を具現化しているといってもいい。

 ここに描かれるように、今や出版社は深刻な不況に見舞われている。それでも本や雑誌の編集に燃える人々はよりよい内容にするべく情熱を傾けている。本作を見ながら、似たような境遇にいる出版社を思わず頭に浮かべてしまった。もちろん、あくまでエンターテインメントでありフィクションなのだが、ここに込められている出版社、編集者たちは現実の反映である。

 主人公をあて書きされた大泉洋はこれまでのような過剰な演技、仕草はなく、ある種、淡々とした表情を貫く。何を考えているか分からないのだが、親しみやすい微笑を浮かべながら他人と接し、決して不快感を与えない。唯一、感情を表すシーンがあり、そこでこの人間の生な部分がほの見える。人間としての奥行きを感じさせる、演じ甲斐のあるキャラクターである。

 出版社の内情も分かる、権力争いを描いた痛快ドラマ。吉田監督は「沈みゆくタイタニック号で繰り広げる仁義なき戦い」のようなイメージと捉えていたらしい。まさにお勧めしたくなる仕上がりだ。