『DAU.ナターシャ』は1950年代のソヴィエト連邦の記憶を驚くべき手法で再現した超怪作!

『DAU.ナターシャ』
2月27日(土)よりシアター・イメージフォーラム、アップリンク吉祥寺ほか全国公開
配給:トランスフォーマー
© PHENOMEN FILMS
公式サイト:http://www.transformer.co.jp/m/dau/

 映画は映像に“世界”を構築する表現だ。

 語られるさまざまなストーリーに即して相応しい意匠の世界が映像に焼きつけられる。無声映画の昔から、こだわりのある製作者や監督であればあるほど、セットに凝り、本物らしさを求めた。その姿勢は現代に至っても変わってはいない。

 好例がロシアの奇才イリヤ・フルジャノフスキーが生み出した本作である。彼はソ連時代に活動した物理学者レフ・ランダウの伝記映画として挑むうちに、次第に忘れ去られようとしている「ソヴィエト連邦」の記憶を呼び起こすことに執着するようになり、「全体主義のソヴィエト連邦」を完全に再現するプロジェクトに発展していった。そこから単に映画製作のみならず、科学、パフォーマンス、精神性、社会性、芸術性、実験、文学、建築などの要素を組み合わせた壮大なプロジェクトに変貌していったのだという。

 フルジャノフスキーの徹底の仕方が半端ではなかった。ウクライナ・ハリコフの廃墟の敷地内にヨーロッパ最大の映画セット「物理技術研究所」を建設。延べ39万2千人のオーディションを経て、科学者、アーティスト、ウェイター、秘密警察、普通の家族などを厳選。参加者たちは実際にソヴィエト連邦時代の生活様式、モラル、法律の下でセットに暮らし、科学者たちもそこに住みながら自分の実験を続けたという。

 このプロジェクトは、2019年1月にパリ・ンピドゥー・センターにおいて展覧会というかたちで披露され、様々な表現のアートが提示されて大反響を呼んだ。

 映画はその一環となったが主要キャスト400人、エキストラ1万人。40ヶ月をかけた撮影が敢行され、700時間に及ぶ35mmフィルム撮影のフッテージが生み出された。本作はレフ・ランダウの名前にちなんだ『DAU.』シリーズの第1弾となる。主人公はランダウが勤めた物理工学研究所にあるカフェのウェイトレス、ナターシャ。全体主義の閉塞社会で逞しく生きる女性の軌跡が丹念に綴られていく。

 莫大な費用と15年もの歳月をかけた本作は、衝撃的な描写もふくめ、第70回ベルリン国際映画祭ではセンセーションを巻き起こし、その常軌を逸した構想力と芸術性が評価され銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞している。

 1952年。ソヴィエト連邦のとある場所に、厳重に管理された秘密研究所がある。施設には有能な科学者が集められ、軍事的な研究を続けていた。

 施設のカフェで働くウェイトレスのナターシャは若い同僚のオーリャが怠けることに辟易としながらも、話し相手は彼女しかいない。医者の娘で若いオーリャに嫉妬しつつ、ふたりで飲んだくれては、恋愛話に花を咲かせている。

 ある日、カフェの常連である科学者たちの研究が成功した。オーリャは科学者たちのためのパーティを催す。ナターシャは初めてオーリャのパーティに参加。そこで滞在していたフランス人科学者と親しくなり、そのまま肉体関係を結ぶ。言葉も通じないが、濃密な一晩を過ごした。

 だが、科学者たちには当局からの厳しい監視の目が光っていた。ナターシャはソヴィエト国家保安委員会の犯罪捜査上級役員ウラジミール・アジッポに連行され、厳しく尋問される。精神的にも肉体的にも打ちのめされたナターシャに、アジッポはある提案をした――。

 ストーリーはタイトル通り、シンプルにナターシャの軌跡を追っていく。本作だけを見ると、『DAU.』シリーズの凄まじいスケールの大きさを実感することはできない。フランスのパリで行われた展覧会やインスタレーションに臨んだうえで鑑賞すれば、この野心的なプロジェクトの一端は掴めるのだろう。それでも本作の映像からもソヴィエト連邦の全体主義的な空気は映像から伝わってくる。抑圧されている閉塞感のなかで、周囲を気にしながら生きている感じが登場人物から浮かび上がってくるのだ。

 当時の人々が人間らしさ、自由な気分を味わえるのは飲んだくれたときとセックスに浸っている時だったと、イリヤ・フルジャノフスキーはコメントする。まさしく本作でキャラクターが伸び伸びとふるまうのは飲酒に浸るシーンとセックスをしているシーンなのだ。飲酒では徹底的に酒に溺れ、とことんくだを巻く。同僚といいあい、叱るのだが、素面に戻れば葛藤はあまり残さない。

 さらにセックスシーンにおいては、必ずしも魅力的な肢体の持ち主とはいえないナターシャがまことに生々しく行為に励む。本作がポルノだという批判も生まれたというが、少なくとも劣情を刺激するような扇情的なシーンにはなっていない。ただ別な問題も浮上してくる。ヒロインに抜擢されたナターリヤ・ベレジナヤは1972年生まれの演技経験のない存在ということだが、このセックスシーンをどのように納得して挑んだのか。少なくとも描写を見る限り、かなり本気なシーンになっているようにみえる。フルジャノフスキーはどのように指導したのだろう。

 本作はイリヤ・フルジャノフスキーに加えて、トム・ティクヴァやビレ・アウグスト作品にメイクアップアーティストとして経験を積んだエカテリーナ・エルテリが共同監督にクレジットされている。2008年から『DAU.』プロジェクトに参加して、今やフルジャノフスキーを支える存在となっているという。

 果たしてこのプロジェクトから何本の劇場用映画が生まれるのか。すでに第2弾『DAU. Degeneration(原題)』もベルリン国際映画祭でお披露目されている。どんな仕上がりになっているか、楽しみになる。