『すばらしき世界』はひとりの男の無骨な軌跡を綴った、西川美和監督のみごとな人間喜劇。

『すばらしき世界』
2 月 11 日(木・祝)より、TOHOシネマズ日比谷、丸の内ピカデリー、新宿バルト9ほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/subarashikisekai/

 西川美和は疑いもなく日本映画を代表する監督だ。

 2002年に『蛇イチゴ』で監督デビューを果たして以降、決して数は多くないが、どれも注目に値する作品を送り出した。オダギリジョーと香川照之の競演が話題になった2006年の『ゆれる』で一躍注目の存在となり、2009年の『ディア・ドクター』では笑福亭鶴瓶のみごとな演技とともに実力を高く評価された。

 2012年の『夢売るふたり』では阿部サダヲと松たか子というキャスティングで話題をさらったが、何といっても2016年の『永い言い訳』の完成度の高さが印象的だった。本木雅弘と竹原ピストルという、男優ふたりの対照の妙も含め、巧みな語り口で見る者を画面に惹きこんだ。

 どの作品も、オリジナリティに溢れたストーリーと緻密な構成力のもと、深みのある人間描写と巧みな演出力を誇っている。なによりも登場するキャラクターのいずれもが奥行きのある、いくつもの貌を持った複層的な存在に仕上げている。リアルで際立った人物造型が特徴の巧みと表現すればいいか。

 一方で小説やエッセーにも進出し、自作をノベライズした「ゆれる」や、小説「永い言い訳」(この原作をもとに映画化した)が三島由紀夫賞や山本周五郎賞、直木賞の候補に上った。西川美和は文筆活動、映画製作、どちらも唯一無二の存在といっても過言ではない。

 前作『永い言い訳』から4年の時間をかけ、じっくりと練り込んで製作した本作は、西川美和にとって画期的な作品となった。彼女が初めて他人の小説を映画にしたからだ。

 原案にしたのが佐木隆三の小説「身分帳」。1991年に書かれた小説を、現在の価値観にあわせ、じっくりとリサーチ。納得いくまで時間をかけて脚本化した。当然、小説とは異なる、直情的な性格ながら、愛すべき性格も持ち合わせたキャラクターに仕立て上げている。

 今回撮影には『怒り』などで知られる笠松則通を起用。ハードボイルドな展開を得意にする撮影監督とのコラボレーションが際立つ。

 出演も豪華だ。最近では『峠 最後のサムライ』がコロナ禍のために公開が延期されているが、『孤狼の血』で気を吐いた役所広司が主演を務め、直情、気が良く素直なのに、すぐ暴力を振るうキャラクターを存在感豊かに演じ切る。

 共演は『泣く子はいねぇが』の仲野太賀、「相棒」シリーズでお馴染みの六角精児、ベテランの北村有起哉にVシネのスター白竜。女優陣はキムラ緑子、長澤まさみ、安田成美、梶芽衣子が居並ぶ。顔ぶれだけでもワクワクする布陣である。

 三上正夫は前科十犯、若い頃から暴力団で犯罪を重ね、若いヤクザを殺害した罪で、旭川刑務所に服役している。間尺に合わないことは我慢できない性格で、所内でも問題を起こし、仮釈放のないまま、刑期を終えて出所することになった。

 反省の様子もないまま、東京に来た三上は、弁護士夫妻の後押しで新生活をはじめる。

 福祉事務所で生活保護を申請する不甲斐なさに血が上りぶっ倒れた三上に、彼のドキュメンタリーをつくりたいという若い男、津乃田がすり寄ってくる。

 津野田に持ち込まれた企画で、当初、津野田はさほど興味を感じなかったが、持ち込まれた三上の「身分帳」(刑務所の個人台帳)の写しを読んで興味を覚えたのだった。津乃田のこともすんなりと受け入れる三上だったが、一方で平然と暴力を行使する一面もある。津野田は三上に次第に魅せられていく――。

 映画は津乃田がみつめる三上の姿を軸に、彼の堅気になろうと努力する軌跡が綴られる。素直で人懐っこい三上だが、良心の呵責はなく、自分が理不尽だと思えば、躊躇なく暴力を振るう。一方で、幼い頃に自分を捨てた母に対する気持ちは強く、かつての妻への情愛も忘れたわけではない。一面的ではないキャラクターといえばいいか。私たちと同じように長所も欠点も併せ持つ存在として描かれる。

 現代はきれい事だけが横行する時代。他人に対して不寛容だし、不満と閉塞感に溢れている。三上のような前科者がどのように暮らしていくのか。

 通常であれば、社会の不正に牙をむく前科者というヒーロー映画の定番になりうる。あまりに冷たい社会、矛盾に満ちた状況に我慢できずに、ヒーローが牙をむくパターンだ。だが西川監督は安易に流れない。細やかなタッチで三上の世界をみつめていく。主人公を気に掛ける少数の善意の人々と、圧倒的に狭量で無関心な社会が彼の歩みをどのように導いていくかを紡ぎだす。

 本作には単にいい人、単に悪人は出てこない。三上の兄貴分の暴力団の組長は不況で四苦八苦しながらも三上に対して情の厚さをみせる。暴力団撲滅の機運のなかで男気をみせようとする。

 三上を支援する弁護士夫婦、スーパーの親父、津野田すらも自分の生活があり、単にいい人ではない。どのキャラクターもあまりに人間的で共感を禁じ得ない。西川監督は欠点だらけの男がどんな“すばらしき世界”をみいだすのかをみごとな語り口で浮かび上がらせる。この監督の生み出す人間喜劇はいつも素敵だが、今回はさらに出色である。

 もちろん、三上を演じた役所広司の演技は素晴らしい。多彩なキャラクターを演じてきた彼が、三上という男の、奥行きがあって多様な貌をもつことをきっちりと知らしめてくれた。これまでの作品歴のなかでもベストといえるのではないか。津野田を演じる仲野太賀をはじめ、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、長澤まさみ、安田成美、梶芽衣子に至るまで、素晴らしいアンサンブルを披露している。

 誠実に社会をみつめ、ユーモアとリアリティを武器に、人間というものの奥深さを浮き彫りにし続ける。西川美和という監督を称えたいと思う。