『チャンシルさんには福が多いね』は韓国映画界の女性監督の台頭を実感させてくれる、素敵な人間喜劇。

『チャンシルさんには福が多いね』
2021年1月8日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか、福いっぱいロードショー
配給:リアリーライクフィルムズ= キノ・キネマ
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公式サイト:https://www.reallylikefilms.com/chansil

 昨年は『パラサイト 半地下の家族』がアメリカ・アカデミー賞の作品、監督、脚本、国際長編映画賞の4部門を制覇するとともに、興行的にも成功した。韓国映画の実力の高さをコアではない映画ファンにも広く知らしめることとなり、注目度も高まっている。

 もちろん韓国映画はこれまでも日本では数多く紹介されていて、その実力のほどはつとに知られている。とりわけ近年は『はちどり』のキム・ボラや『82年生まれ、キム・ジヨン』のキム・ドヨンなど、女性監督の作品に熱い視線が注がれている。韓国という儒教的な社会で女性が懸命に生きる姿が映像に焼きつけられ、静かな感動をもたらしている。

 本作はそうした女性監督の台頭を文字通り象徴する内容となっている。脚本・監督を務めるのは、本作が監督デビューとなるキム・チョヒ。彼女は韓国映画の異才ホン・サンスのプロデューサーとして『3人のアンヌ』や『自由が丘で』をはじめ、10本の作品を支えてきたが、本作で初めて自らの心の裡、思いを軽妙かつリアルに映像に焼きつけてみせた。

 映画はアラフォーの映画プロデューサー、チャンシルさんに焦点を当てる。プライベートのことを顧みず、ひたすら映画製作にのめり込んできたのに、支えてきた映画監督が急死。とたんに生きていく目的を失う。

 何もかも映画に賭けてきた人生が監督の死とともに、すべて崩れ去る。製作会社の女性社長はプロデューサーの仕事など認めもせずに彼女の首を斬る。

 郊外の家に間借りして節約生活。映画の仕事もなく、可愛がっていた女優ソフィの家の家政婦として働くことになる。

 これまでとはまったく違う日常のなかで、チャンシルさんはソフィのフランス語の先生と出会ったことで忘れていたときめきが蘇り、さらにはランニングシャツにボクサーパンツ姿の守護霊が現われ、彼女の悩みに対して忠告するようになる。

 映画を離れ、新たな日々を迎えた彼女に福は訪れるのか。チャンシルさんは忙しい日々のなかで、本当の幸福を問われることになる――。

 チャンシルとは「太陽のように輝く果実」という意味の名前だという。キム・チョヒが彼女に自分の軌跡を重ねたことは明らかだ。フランスのパリ第一大学で映画理論を専攻。短編映画を監督しつつ、ホン・サンスのプロデューサーを務めた彼女は、韓国映画界におけるプロデューサーの地位の低さを嘆きながら、自分が監督の支えになっていることに甘んじていたが、ある年齢になって自分を見つめなおしたという。

 自分は監督になるつもりだったのではなかったか。彼女はホン・サンスのもとを去り、冷却期間を置いた後、本作の制作に係った。

 キム・チョヒは自分と等身大のチャンシルさんに思いを託した。夢を叶えるために孤軍奮闘しながらも、40歳を迎えて依然として人生に手応えのない女性。彼女がどのように福を掴むのか、あるいは掴み取れないかを、キム・チョヒはペーソスとユーモアを交えながら紡いでいく。

 映画界に籍を置いたヒロインだけに、作品のなかには映画ネタが満載。クレジットタイトルのシーンでは、キム・チョヒの敬愛する小津安二郎へのオマージュを捧げ、セリフのなかには、エミール・クストリッツァの『ジプシーのとき』やウォン・カーウァイの『欲望の翼』、さらにヴィム・ヴェンダースの『ベルリン、天使の詩』といった、キム・チョヒ自身が好きだった作品が登場し、守護霊に至っては映画ファンなら笑みを禁じ得ない。

 といって、別に高踏的な語り口をしているわけではない。長年、支えてきた韓国のウディ・アレンと呼ばれる、ホン・サンス的なとぼけたユーモアがあり、人間臭さを画面に横溢させながら軽やかに語るセンスは確かにその影響を感じさせる。ただ、ホン・サンスにはない社会をみつめる視線、温もりと細やかさに惹きこまれる。キム・チョヒには知性と平易に語ろうとする姿勢が映像から感じられる。

 出演者も素晴らしい。チャンシルさんに扮したカン・マルグムは演劇の世界で腕を磨いた存在というが、このパフォーマンスは絶品。40歳を迎えて、パサパサも気にせずに映画にのめり込んできた女性が新たな境遇のなかで変わっていく姿をみごとに演じ切ってみせる。決して美人とは思えないが、見る者は次第にそのキャラクターに惹きつけられるのは演技のゆえ。みごとの一語である。

 さらに 大家にはベテラン女優のユン・ヨジュン、守護霊役には「愛の不時着」で強い印象を残したキム・ヨンミン、気のいい女優のソフィに扮したのは『セイバー』のユン・スンナ、チャンシルさんが心ときめかせるフランス語の先生役のペ・ユラムまで、決して派手なイメージはないが、充実したアンサンブルを奏でてくれる。

 甘ったるい夢物語ではなく、現実に根差しながらも心に触れる温もりをもたらしてくれる成長の物語。余韻の残る秀作である。