『おもかげ』はスリリングで予断を許さない、ひとりの女性が辿る愛についてのサスペンス。

『おもかげ』
10月23日(金)より、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー
配給:ハピネット
©Manolo Pavón
公式サイト:http://omokage-movie.jp/

 コロナ禍によって、アメリカン・メジャーの新作は、『テネット』を除いて次々と公開延期となり、日本で公開される作品数も激減している。一方で、シネマコンプレックスをはじめ映画館は映画興行の灯を絶やすなとの思いで、旧作の上映を含めて、さまざま知恵を絞っている。ようやく日本映画の新作が輩出するようになったのも朗報である。

 新作映画の紹介も枯渇しそうだったが、力のあるミニシアター系の作品が多いおかげで、毎週、滞りなく掲載できているのは嬉しい限り。

 ここに紹介する作品もまた注目すべき1本である。

 スペイン映画界で際立った活動をするロドリゴ・ソロゴイェンが生み出した長編第5弾。2019年のヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門に選出され女優賞を受賞している。

 本作はソロゴイェンが2017年に製作した短編映画『Madre』に起因している。僅か18分の映像のなかに、離れ離れの母と6歳の息子の緊迫した電話のやりとりを紡ぎ、圧倒的なサスペンスをテンション高く焼きつけた内容が高く評価された。第91回アカデミー賞短編実写映画賞にノミネートされたのをはじめ、世界各国の映画祭などで50を超える映画賞を受賞する快挙となった。この反響に力を得たソロゴイェンは、この母親のその後を描く長編を計画。脚本家のイザベラ・ペーニャとともに書き上げたのが本作となる。

 ソロゴイェンの作品はこれまで2016年にタイトルもおどろおどろしい『ゴッド・セイブ・アス マドリード連続老女強姦殺人事件』が公開されたきりだが、ヨーロッパではその演出力に注目されている。この凄いタイトルの作品もサン・セバスチャン国際映画祭では脚本賞に輝き、スペインのアカデミー賞であるゴヤ賞でも作品賞など6部門にノミネートされた。

 本作もゴヤ賞の最優秀脚色賞、主演女優などにノミネートされたが、なによりも2019年ヴェネチア映画祭のオリゾンティ部門で女優賞を受賞したことが大きい。これによってスペイン国外でも大きな注目を浴びた。

 出演は短編版でも絶大な支持を集めたマルタ・ニエト。日本では2013年の『ワイルド・ルーザー』が紹介されているのみだが、本作の演技はまことにすばらしい。心に大きな穴の開いた女性の寄る辺ない日々をみごとに表現してみせる。

 共演は『マルヴィン、あるいは素晴らしい教育』(フランス映画祭2018で上映)のジュール・ポリエ、『ペトラは静かに対峙する』のアレックス・ブレンデミュール、『エル ELLE』のアンヌ・コンシニ。いずれもニエトをきっちりとサポートしている。

 離婚した元夫とフランスの浜に旅行している6歳の息子から切迫した電話が入る。「パパが帰ってこない」と途方に暮れている息子を、スペインにいるエレナは状況を聞き出そうとするが、息子の声はそれが最後になった。

 10年後、エレナは息子が姿を消した浜にいる。浜のレストランで忙しく働き、波打ち際を当てもなく歩く毎日。優しくフォローしてくれる恋人もできたが、彼女の時は10年前から止まっている。

 エレナの日常が変わったのは、息子のおもかげをもったフランス人の少年、ジャンに出会ったことからだった。ジャンは年上の女性に対する憧れからエレナに接し、彼女もまた気になって仕方がない。

 ふたりの親しそうな姿に周囲はとまどいを持ってみつめる――。

 ソロゴイェンは冒頭に“短編版”を用意して、見る者の気持ちを一気に掴む。離れた場所にいるために、息子を救い出したくてもどうすることもできないもどかしさ。幼い息子のたどたどしいことばに、ヒロインはさらにパニックに追いやられる。凄まじいテンション、人を掴んで離さないサスペンス。

 この冒頭の部分の張りつめた雰囲気が、フランスの浜のヒロインの抜け殻のようなその後に説得力を与える。普通の生活を送っているようにみえても、絶望感を抱え、心の穴を埋める手立てのないヒロインの心情が浮かび上がる。ソロゴイェンの語り口は余分なセリフをはさむこともなく、その映像によって知らしめる。際立った映像で常にソロゴイェン作品を支えてきた撮影のアレックス・デ・パブロは、大西洋に面した海辺を過不足なく切り取り、ヒロインの心情を繊細に縁取っている。

 ヒロインが精神的に不安定なことがさりげなく綴られているので、見る者はジャンを知ってからの彼女の行動に危うさを感じる。ヒロインは何をしでかすか分からない、予断を許さない不安がストーリーの進行とともに増幅される。ソロゴイェンはこのサスペンスを持続させつつ、最後まで引っ張っていく。詳細は作品を見て得心いただきたいが、再生の物語として結実していることは約束できる。

 なによりもエレナを演じたマルタ・ニエトの魅力が作品に横溢している。不安定なヒロインが浜を彷徨い、欠落感を抱えたまま日々を送る。その切なく哀しい風情をみごとに再現している。溢れる情感が容姿をさらに際立たせている。これも演技の為せる業だ。

 タイトルはありがちだが、ミステリアスで切ない心に沁みる仕上がり。ロドリゴ・ソロゴイェンという監督の今後に注目したい。秋にふさわしい好編だ。