あらゆることばや物事を集めて、徹底的に意味と用法を調べ上げ、明快かつシンプルに解説する――およそ辞書の編纂ほど大変な作業はない。だからこそ仕上げたときの喜びはこの上なく大きいという。
辞書編纂を題材にした作品となると、三浦しをんのベストセラー小説を映画化した2013年の『舟を編む』がまず頭に浮かぶ。辞書編集部に配属された青年がことばを聞き取り、調べ上げるという地味な作業のなかに、辞書編纂の奥深さと喜びを知っていくストーリー。主演の松田龍平のひょうひょうとした個性と石井裕也の軽味のある演出が何とも素敵だった。日本アカデミー賞主演男優賞、監督賞、作品賞など7部門を制覇したのは記憶に新しいところだ。
また、今夏には『マルモイ ことばあつめ』が公開された。1940年代の日本統治下の朝鮮半島・旧京城で、日本語教育が進むなか、民族の誇りを守り、母国語を守るために朝鮮語の辞書作りに尽力する人々を描いた作品。これもまた印象に残った。
やはり、ことばを大切に扱うためだろうか、かように辞書の編纂を描いた作品には好感を覚える。
本作に食指が伸びたのは、世界に冠たる大辞典「オックスフォード英語大辞典」誕生にまつわる秘話を描いているからだ。1998年に発表されたサイモン・ウィンチェスターのノンフィクション「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」の映画化である。
話題となると同時に、直ちに映画化に名乗りを上げたのは、メル・ギブソンだった。彼は『マッドマックス』シリーズや『リーサル・ウェポン』シリーズなどで知られ、監督としても1995年の『ブレイブ・ハート』や『パッション』、が大ヒット。監督に専念した2016年の『ハクソー・リッジ』でも高い評価を受けている。
映画人としては申し分のない軌跡を歩んできたギブソンだが、私生活が悪すぎた。飲酒運転に、愛人へのドメスティックバイオレンス、あるいは反ユダヤ発言など、度重なるスキャンダルで物議をかもし、本作の映画化が実現するまでに長い時間がかかってしまった。
自ら監督するつもりのギブソンだったが、『アポカリプト』でともに脚本を手がけた、イラン系アメリカ人、ファラド・サフィニアに任せることにした。サフィニアにとっては初の長編映画監督となる。
脚本には『エクスカリバー』の匠ジョン・ブアマンや『ハドソン川の奇跡』のトッド・コマーニキの名もある。企画が実現するまでに、かなりの紆余曲折があったことを窺わせる。
出演はメル・ギブソンに『ミスティック・リバー』と『ミルク』で2度のアカデミー主演男優賞に輝いたショーン・ペン。これにテレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のナタリー・ドーマー、『ヴァラ・ドレイク』のエディ・マーサン、『『太陽の雫』のジェニファー・イーリー。加えて『24アワー・パーティ・ピープル』のスティーヴ・クーガンまで、多彩な顔ぶれが揃っている。
映画は、世界最大の辞典といわれる「オックスフォード英語大辞典」(OED)誕生にまつわる秘話を画面に焼きつける。OEDは単語の用法のみを示すのではなく、英語の歴史的発展をも辿る。そこにはフランス語、ドイツ語をはじめとする周辺国の言語知識も求められ、使われなくなった単語の意味も含めて、単語の意味の使われ始めた順に定義を示すという、前人未到の辞書作りだ。
1878年、オックスフォード大学から編纂の責任者に選ばれたのが、ジェームズ・オーガスタス・ヘンリー・マレーだった。スコットランド出身。独学でフランス・イタリア・ドイツ・ギリシャ・ラテン語を会得し、地質学、地理学をはじめ、天文学、歴史、考古学を身につけた努力の人。学士号がないにもかかわらず、学問に取り込む姿勢を評価されて、辞典の責任者としての異例の抜擢となった。
英国のエリートたちから疎んじられながら、マレーは懸命に編纂に務める。彼は古語も、新語も、俗語も、外来語もふくむすべての単語とその変遷の収録を目指すという膨大な試み実現するため、単語と用例を広く一般に求めることにした。
ここに応募してきたひとりが、刑事犯精神病院に収監されていたアメリカ人、ウィリアム・チェスター・マイナーだ。精神が錯乱してイギリスで殺人を犯したマイナーは高い知性と教養の持ち主だった。憑かれたように、彼はマレーに単語と用例のカードを大量に送る。彼の存在が辞典の完成を飛躍的に早めることになった。
だが、被害者の遺族に良心の呵責を感じていたマイナーの精神がさらに悪化。辞典編纂に彼が関わっていたことが明らかになって、マレーは窮地に立たされる――。
英国の誇る知性の結晶OEDの発刊に尽力したのが、実はスコットランドの貧乏人の息子でたたき上げの男が成し遂げたという事実の面白さ。さらに編纂者の最大の協力者が精神を病んだ囚人というところも秘話として申し分がない。メル・ギブソンが映画化実現に奔走したのも、この型破りの内容だったと思われる。ただ欲をいえば、手仕事で進めるしかない当時の編纂の苦労を伝えるエピソードがもう少し欲しかった気がする。実際にことばを集め、期限を辿るようなシーンがあれば、さらにストーリーに深みが生まれただろう。
メガフォンを取ったファラド・サフィニアの演出は細やかで、むしろマレーと妻の情愛、マイナーと被害者の妻との交流という、ドラマチックな絆の部分に注力している。辞典成立を支えた人間関係の変化をスリリングかつ情感豊かに浮かび上がらせている。
マレーを演じたメル・ギブソンは受けに徹し、朴訥な努力の人を神妙に演じて、マイナー役のショーン・ペンに見せ場を任せたイメージ。精神を苛まれながらも知性と両親を失わない悲劇の男を、ペンは存在感豊かに表現している。うるさ型ふたりの持ち味を巧みに引き出したファラド・サフィニアに拍手を送りたい。
監督として努力したファラド・サフィニアだったが、追加撮影を求めたギブソンとともに製作者サイドと対立。アメリカ公開の規模も縮小されたばかりか、監督名をファラド・サフィニアと名乗れずP・B・シェムランとされた。
毀誉褒貶の多いメル・ギブソンらしい顛末だが、監督名を奪われたサフィニアには災難というしかない。一見をお勧めしたい所以である。